◆◆◆世紀末ガンタマ日記◆◆◆


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2月1日(月)
世紀末は退屈しているひまはないんだよ。
と思いながら
お店でウトウトしてしまった。
買い取りの電話で目が覚めた。

2月2日(火)
ジャイアント馬場選手が亡くなった。
まるでドラマをみているような錯覚がした。
僕は初期の猪木の天下盗りの野望と
初期の前田の純粋さがとても好きなのだけど。
たしか前田も引退だし。
馬場選手が格別好きなわけではないけど、
あたりまえだと思っていたものが
突然終わってしまった時のような
何ともいえない感じがする。

2月3日(水)
「週刊アスキー」の新着WEBサイトで紹介された。
引用させてもらおう。
「古い玩具は、鑑定番組をきつかけに
投資の対象にもなりつつある。
そんな流行とは一線を画す、
哲学を持つのがこのページ。
'60、'70年代の玩具への熱い想いは、
ページの情報量で一目瞭然だ。
通販も充実していて、
見ているだけで懐かしくなってしまうほど。」
インターノーツの西川さん取材ありがとう。
アンティックトーイ・マスコミ(ホビージャパンなど)
五年分の価値のある紹介文だ。
(困ったもんだよね)

「みんなが格闘技に走るので、
私、プロレスを独占させてもらいます」
馬場選手の笑顔と共に
全日本プロレスの事務所に
こんなポスターが張ってあったという。

僕ならばさしずめ
「みんながガチャポンと復刻に走るので、
私、アンティック・トーイを独占させてもらいます」
といったところか。

パソコン師匠の小西行者から
HPの感想が届いていた。
日々の精進、結構結構
と書いてあった。

たむらさんから魔術論の感想が来ていた。
うれしいです。

2月4日(木)
きっかけが欲しいな。

妹がAOLにすでに加入していたことが判明。
ふっー。

写真の整理用のソフトで悩む。
HPはぼちぼち作りながら
まめに修正しながらいくってことかな。
最初から完璧なんてことはないからね。

2月5日(金)
昔からのお客さんから
ちょくちょくメールをもらうようになった。
メールは名前が書いていないので
誰なのか分からないことがある。
なんどかやりとりしているうちに
昔からのお客さんだと知って
とてもうれしい。
五年以上前から知っている人は
こっちも気風が分かっているので
とても楽につきあえる。
皆さん鑑定ブームがいきすぎて
困っている。

でもね、このいい加減な風潮も
そろそろ終わりだよ。
ブームにのった店やマニアや芸能人や評論家やマスコミも
流行が終われば
ハイそれまでーえよ。
知らんぷりを決め込むよ。
彼らには未来がない。

ふっと思った。
マルサン(戦後最良の玩具メーカー)は
多くの偽物をうんでいるからこそ
本物といえるのかも知れない。

2月6日(土)
鑑定よりも鑑賞を

かの岡倉天心がいっていた。
国家が衰退するときは
美術も荒廃するとも。
東大で行われた「日本美術史」の講義を
受けてみたかった。

今日は新鮮な気持ちでスタートしよう。
朝七時近くなって明るくなってきたのに
月がまだ残っている。

2月7日(日)
ホンコン人やアメリカ人が店に来るようになると
トーイショウやフェスティバルがある合図なのだ。
僕の店がフェスティバルに出店しなくなって、
はや七年。
理由は当然ある。
いつだったかは70年代のミニソフビを五個千円で売って
それがほんとに飛ぶように売れて
連れてった若手連中全員に焼き肉をおごって
まだお釣りが来た。
お客さんサービスのつもりででかけていたので
開催場所では僕がいつも留守番役だった。
仕入れ場所にはしなかった。
余分な物を安く売るだけだった。
地方の連中を家に泊めて
にぎやかなものだった。

商いは厭きないようにやるだけだ。
暖かくなったらパーティでもやろうかな。
おもちゃ会社のOBの方に来ていただいて
玩具黄金時代の気っぷのいい話でもしていただこうかな。
どなたかいらっしゃいませんか?
僕と一緒にパーティの企画考えませんか?

2月8日(月)
華麗なる退屈。
貧しい想像力。

ホームページの作り方のHPから
ケーキのHPへとんだ。(京都の女性)
僕はチョコレートケーキに目がないから。
音楽もあり上品なページでした。
リンク先に骨董屋の紹介があったけど、
さりげなくてよろしかった。

夜、フィオレンティーナ対ACミラン戦
(イタリアプロサッカーリーグ・セリエA)のビデオを見る。
コンディション調整のために早く寝る。

2月9日(火)
やっと空想の過去の広告を整理し始める。
十年120本以上もおもちゃの広告を作っているなんて。
あらゆるバリエーションがある。
広告のプロはどんな感想だろう。
実に壮大なパノラマだ。
自分に自信が湧いてくる。

2月10日(水)
谷中の一本杉の近くに前から気になっている建物があった。
この一区画は谷中の内側の聖域で
真夜中に迷い込んだら
タイムスリップしたとしか思えないところだ。
実際に白山の友人のところからの帰りに深夜近く
僕は道路工事で迂回してこの道に迷い込み
車ごと漂着したような錯覚におちいった。
寺の並びにある低い建物が
なんと岡倉天心が設立した
日本美術院であることを今日知った。
なんというなんということに!

ナショナルキッドの人工着色のメンコを数枚手に入れた。
状態もいい。
いい日だ。

いい気分のままいい原稿を書こう。
忘れてしまわないうちに。
消えてしまわないうちに。
今日は徹夜だ。
徹夜で岡倉天心と話していよう。

2月11日(木)
三時ころ雪。
客足も途絶え
まるで雪だるまのようにのんびりしていた。

出版社工作舎がリンクを張ってくれた。
ブッククラブ回(青山の本屋)と一緒の紹介だから
うれしいよね。
→「空想のトップページからリンクのページを選んでいけば飛べます」

新作ガメラ映画の件で床屋の大将からTEL。
一作目と状況はなにも変わっていない気がする。
凡作は見なくともわかる。
「またほめられるんだろうね。しゃくだな。」
ということで僕たちの会話は終わった。
およそ日本の玩具会社も映画会社も
限定とか新作とかいいながら
長いこと長い間
ファンを裏切り続けている不誠実さに気がついていない。

2月12日(金)
HPを見て下さいと骨董屋さんからメールが届いていた。

「やっぱりほんものはいいすっねぇ〜」
そういわれると
「どお、見てみる、触っていいよ」
という具合で棚から怪獣の人形をおろして
お客さんに見せてしまう。
復刻ブームの今だから
こんな会話がとてもうれしい。
手渡しで商品を確かめてもらって
納得してもらう。
本屋だって八百屋だって職種こそ違え
昔はみんなこんなふうだった。
僕は昔の職人芸の残るものを売っているから、
ずっとずっとこうしていく。

2月13日(土)
十九歳の頃、作家「稲垣足穂」の「一千一秒物語」と出会ってから
研究し、愛憎し、忘却し、散歩し、
やっと評価できるようになったけど
「足穂はバイタリティーがなかった」ということに最近きがついた。
ギボン!

最近自分の芸風?は東京風ラーメンではないかと
思うようになった。
しょうゆ味でスープは澄んでいて
全体にあっさりしている。
豚骨味でもないし
味噌味でもない。
なるとが入ってそれでおしまい。
でも味は淡泊でも
味にはこだわるのだ。

2月14日(日)
朝からきげんがいい。
なぜかと考えたら
理由1 僕のことを書いてくれた本が出た。
「ちゃんと元気なトーキョーピープル」という中で紹介してもらっている。
著者はプロレスライターでおなじみの斉藤文彦さん。
文芸社から。
今週ぐらい店頭に並ぶのじゃないかな。
理由2 サテライトムーン新作完成
お友達のザッパ密教僧の楠見さんが四回目を立ち上げた。
なにが元気かって言えば、シノラーでしょう。
空想のトップページのリンクボックスからとべます。
はやく続きが読みたいなーあー。読みたい読みたい。

2月15日(月)
昨日の夕方、江戸前くんと堀井ちゃんが来てくれた。
それから紙物のベテラン氏も。
気がついたら閉店時間を過ぎていつのまにやら八時だった。
またひとり空想組がデビューするかも知れない。
楽しいことをやろうぜ
ということで解散した。

久しぶりに近所の中華屋で昼食を取った。

通販の対応で少しあたふたする。
電子決済はドキドキする。
まだ慣れていない。

手踊りガラモン(袋入り。新品)売れる。
指人形よりはもっと大きくて
手が中全体がに入るやつ。
それが手踊り。
すでに江戸時代にこの形はあった。

書家のモンマ君が来て次の展示会の打ち合わせ。
コンセプトは「岡倉天心の茶の本」の花の章より発想する。

2月16日(火)
書家のペンネーム考案を依頼される。
どんなものかな。

僕は友人から
「天探亭」
(テンサグリティーと読む)
という俳号をもらった。
ときどき
「張力子」とも揮毫する。

この国には自称鑑定家は多いが
鑑賞家はいないことが、
この世界のレベルを現している。

花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春をみせばや
(藤原家隆)

2月17日(水)
今年二度目の臨時営業。
はるばる信州の映画館主のご来店だった。
清々しい気があふれている
と店を誉められた。

無知が無限の前にひれ伏すことを祈りつつ

幼なじみのお母さんが亡くなった。
うちの母親たちと一緒に元気に伊豆の温泉へ出かけたというのに。

2月18日(木)
「おいしさの秘訣」を聞かれた時
「商売じゃないよ家業だよ」
とひとことで表現した
職人気質の人間国宝そのものの
下町の洋食屋の親父は
輝いていた。

概して経済人間には味音痴が多い

儲けることばかり考えていると
儲けさせてもらっていることに気がつかない

インターネットショップの作り方
といった内容のHPや
電子商店をときどき覗くけれど
経済以上の生活情報を発信している
店はひどく少ない。
経済だけで生活が成り立っているわけではないのだから、
がんばって欲しいよな。
店主も客もプロバイダーも技術者も
つまりはもっと「粋」にやって欲しい!

風来山人、萬国の東側に登り、
娑婆の大劇場(おおしばい)を観て、
舞台を小なりとするの志有り。
(平賀源内)

2月19日(金)
小さなクリエイテブスペースがあって
その活用を相談された。
まだ何も考えられないが、
どうしようかな。

陽気なアメリカのゴジラマニアがやってきて
「ブロークン」とお互いに言い合って笑いあった。
彼の怪獣は角がないというので、
僕の壊れた人形たちを見せてあげた。
「おおブロークン!」
壊れているのは、僕らの世界の方だね。

第三回朝日デジタル広告賞の受賞作を見る。
人への親近感光る
という批評の見出しが付いていた。
大企業の広告ばっかりだな。
まあじっくり解剖してやるさ。

2月20日(土)
北海道の常連さんが来てくれた。
もうかれこれ5年ぐらいのおつきあいだ。
半年にいっぺんぐらい
東京に来る度に寄ってくれる。
メンコ関係の紙物を集めている。
いつも奥さんと一緒だ。
今日の朝、マイナス11度だという。

2月21日(日)
生活のリズムを少し崩していたので
デルタのパーティにもいかなかった。
早く寝て夜明け前に起きる。
朝の清々しい空気の元で仕事をする。
これが最高。いちばん。
天心論はやっと頂上が見えてきた。
岡倉天心が全く違って見えるだろう。

二十で発狂。三十で失敗。四十で山師。
(岡倉天心・茶の本・花の章より)

前田日明選手が引退した。
「次の世代に引き継ぐ役割をになってきた」
ということを述べていた。
前田が猪木の喉笛に蹴りを入れたシーンが
今でも焼き付いている。

2月22日(月)
きっとたいしたことをやっていない一日。
早めに寝る。

お菓子屋へいって
30年前のペコちゃんやグリコのおまけを
捜したくなった。
おもちゃやは全国だいたいいったけど、
お菓子屋は未開の地だから。

2月23日(火)
書家のモンマ君と話す。
彼のインスタレーションは予想通りの反応だったらしい。

銀行の帰りに秋葉原のLAOXコンピューター館でぶらぶら。
アクセスを増やすホームページ革命術
(アクセス向上委員会・橋本大也・毎日コミュニケーションズ)
藤原博文の館-1500万ヒット ホームページの秘密(技術評論社)
を購入。
出たら4時。

2月24日(水)
気づいたら
肩が凝って
曜日が代わっていた。
なんとか、もんじゃ君を載せた。

おもちゃの本の書評を書くコーナーを作ろうと思ったが
不幸になるおもちゃ本ばかりなので
採りあげないことにする。

ただし「ドイツ・おもちゃの国の物語」。(川西芙沙・東京書籍)
まだ未読。まだ手に入れていない。

朝から雨。
レースのカーテンをあけて外を見たら
僕の二階の部屋の脇の電線に
雨粒が
蛙の透明なゼリー状の卵のようについている
のを発見した。

最近の出版業界に対しての意見。
出版社・流通・書店など業界全体の
「自業自得」という面が強いが、
それは出版人が初心を忘れ、
出版の原点を見失ったからにほかならない。
(東北出版企画代表・田村茂広氏〜朝日新聞〜)
出版だけではなかった。
玩具業界も同様。
いや、このような正論をはく業界人すらいないのが、現状。
玩具会社OBはなにを惰眠しているのか!!

藤原博文さんの本を読み終えた。
彼のような知性のあるコンピューター業界がうらやましい。
彼のHPが1500万訪問者を達成したり
本が再販したり、
当然のことだ。
予算じゃないよ、アイデアさ
という技術屋の魂を見た。
「綺麗なページを作れば人がくるというが、
私のページはイメージをできるだけ少なくし、
文字だけのページを多くしている。
(中略)
ホームページのアクセスを増やす方法として世間で推奨されている方法は、
アクセスを減らす方法であることが多い。
そういう本を出している人のホームページが、
実際には誰にも見られていなかったりする。」
この啖呵この気迫
いっぺんにファンになるじゃありませんか!
(藤原博文の館〜1500万ヒットホームページの秘密〜・技術評論社・\1480+税)

2月25日(木)
タイガーマスクのプールを店に広げておくようにしたが、
やはり場所とりである。
畳半分ほどはある。
かといって倉庫に保管していても
怪獣の絵(ジャミラとレッドキングだったかな)が
底に書かれているプール同様
下がボコボコになって
切れてしまうかも知れないし。
だからおもちゃやから持ってくるのが
嫌だったんだよな。
水を入れてプラスチックのヨットでも浮かべて
ディスプレーしようと思ったけど、
重い、でかい、場所をとる。ガーン!
11年間で1個?売ったぞ〜〜い。

ホビージャパンは憂鬱である。
フィギア王は悪夢である。
雑誌が送られてくるたびに
「編集」ということを拷問される。

蒐集力ではなく
鑑賞力が問われている。
複合する「鑑賞力」がなければ。

マニアは中立の存在であるのは
自明のこと。
そのマニアがブローカー化し
ショップや編集者やメーカー担当者と
利権共有化してゆくのであれば
自浄作用など起こりはしない。
マニアというよりも
愛のあるニュートラルなファンが
貧しいマニア一派を追放しない限りは
見るも無惨な利己主義者のコレクションが
はばを利かせ続けるだろう。

博物学(コレクション)は大衆をだましやすい。
数を見せつけるから。
洞察力は一般人には理解しにくい。
数を無効にして無限を理解しようとするからだ。

日本のおもちゃ世界は
業者どころか
マニアまで
驚き桃の木山椒の木
全員カネゴンになってしまった。
最高のホラーだ。
間違いであることを祈るのみ。

「多く所有せず、夢多数」
が心地よい
利休は
「一物モ持タズ、胸ノ覚悟ヒトツ」。
さすが茶人。

泣くなゴロー
怒れゴメス!

2月26日(金)
新しい地図を見せること。
先人の多くはこれにかけた。
僕は嘆いたりぼやいたりして
うけをねらう芸風ではないから
僕をうっとうしく思っている利権屋どもを
よけい怒らせているのだろうな。

僕はモラリストではないし
どちらかといえば
伝統回帰論者で
おもちゃ世界は1960年代の
玩具黄金時代の秩序にもどれ
という部類のものである。
そこにはマルサンという個性も
バンダイや野村という個性もあったし、
無数の駄菓子屋という資本もあり
ゆるやかな秩序を保っていた。
おもちゃのことで
おもちや屋以外に利益を発生させない
「穏やかな談合」があった。
つまりマスコミキャラクターものなどで
巨大な版権を生みだし
業界外に主導権をとられるのを恐れていた。
これが日本最初の職業団体の知恵。
一社の利益よりも小資本の駄菓子屋を含めた全体の利益
そして調和を求める方法だった。
そして戦後生まれの新興勢力の
マルサンとバンダイが
はからずもこの壁を破って駆け上がっていくという図式は
拙書「怪獣玩具の冒険」で書いた。

おもちゃの話は直接でてこないけれど
これから書く三冊の本を読み終わると
おもちゃファンはおもちゃがもっと好きになるしかけを作っている。
僕のやっていること
やろうとすることは
どこまでいってもおもちゃの夢の一部なのだ。

有名になるとか必要以上に金を儲けるとか
社会的地位が向上したとか
そんな錯覚よりも
おもちゃに単純素朴に接することの方が
重要である。
僕がいちいちいわなければいけないのは
僕がブルマァク全盛時に
(メガロなどのリアル造形がいいとされ
マルサンの造形センスは駄目とされていた)
いちはやくマルサンの優秀さを
世に送り出した旗振りだったためで、
(誤解されまくって、値段ばかり先行したが)
おもちゃは素朴に接したときしか
あたたかい返事をくれないことぐらい
世間の人はホントは知っている。

多趣味。多言語。夢多数。

たまには「怪獣玩具の冒険」を読んで下さい。
ごく内輪の連中にしかいっていなかったけれど、
ある後日談。
この本を読んだ
萬代屋創業者の山科直治さんから
「会いたい」というハガキをもらったのは、
例のバンダイとセガの合併記者会見のすぐあとのことだった。

どうやら茶柱が立ってきた。

2月27日(土)
昨日、ガンタマ日記を書いたあとで新聞を読んだら
バンダイのことが出ていた。

「たまごっち 在庫山積み 利益食う」
「バンダイ社長を降格 後任に三和銀行出身常務」
(朝日新聞2/26)
「たまごっち 今や足かせ」
「在庫たまってバンダイ苦境 2期続き赤字」
「茂木社長、降格」
(読売新聞2/26)

萬代屋(現バンダイ)創業者の山科直治さんは
「アンテナの人」だった。
問屋を駆けまわり
「売れているかどうか」よりも
「何が問題か?」
と担当者を質問責めにしたそうだ。

マルサンの本社にもちょくちょく顔を出し
ともかくマルサンの石田実社長によく質問していたそうだ。

「怪獣玩具の冒険」ではマルサンという
戦後最高の玩具会社の戦略論と経営論を書いた。
そしてほんの数行だが渾身の力で
バンダイのことを書いた。
それは実は「バンダイ戦略論の分析」で僕の評価だった。
ある意味でマルサンの精神を受け継いだのは
バンダイの山科直治である
ということを暗示した。
それにもっとも早く反応したのが、
マニアではなく玩具マスコミでもなく
誰あろう
山科直治さんご当人であったのである。
このことはバンダイの一部関係者しか知らない。
正確にいえば文面は
「会ってお話をお聞きしたい」であった。
ただ体調を崩して静養しているので
秋頃にということであった。
日付は例の記者会見のまっただ中。
相手は倅ほどの訳のわからぬ若造である。

その冬、相談役(当時の役職)は帰らぬ人となった。

もっとお話をうかがいたかったが
「怪獣玩具の冒険」をお見せできたのが
骨董玩具屋、玩具研究者としては……。

「君がガンタマねぇ!」と
あの世で
マルサンの石田実社長と
萬代屋の山科直治さんは
豪快に笑っていることだろう。
その後ろには
山田徳兵衛玩具組合長がいて
「空想さん、あんたユーモア頼みますよ」といっている気がしてならない。

山科直治さんとのことは大切な思い出なので
それを発表するということもどうかと思っていたが
バンダイのとあるセクションがあまりにも馬鹿げた仕事をするので
つい、直治さんのことが思い浮かんだのだった。
そしたら、この人事があった。
今こそバンダイは
山科直治の企業家精神に立ち帰るべきだ。
ねえそうでしょう、相談役!

2月28日(日)
日記をつけたことはつけたのだが、
前日の件を引きずっているので
省略する。

◆世紀末ガンタマ日記3月へつづく


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