◆◆◆◆◆骨董魔術論◆◆◆


■イヤシ路地裏

郷愁は自立性のある生きもののようだ。
そしてこの世の中で骨董屋ほど、この事情に通じている職業はないように思われる。 
僕の店「空想雑貨」は浅草の外れ千束にある。
お酉様にほど近く、鬼子母神で知られる入谷に接している。
最寄り駅は地下鉄日比谷線の入谷。むろん浅草から歩いてくることはできるけど。
店は金美館通り商店街から一本はいった路地の角にある。
「地下鉄の駅から歩いてきて、ホンダコーヒー商会の
煎りたてのコーヒー豆の匂いを嗅ぎながら
道を曲がる時の『期待感』がたまらないのだ」と、
名古屋の常連氏は話してくれたことがある。 
僕がたびたび通ったカフェサロン「デルタ・ミラージュ」も、
ある種の路地裏だったから、それだけで秘密めいてここち良かった。 
吉祥寺の紅茶専門店「ティークリッパー」がいいのも、
国立の喫茶店「邪宗門」や「ナジャ」が落ち着けるのも、
路地裏独特のイオンがあるからだ。 
お茶の水の茶房「李白」のポイントが高いのも、なによりも路地裏にあるから。 
神田の「やぶそば」にたまに出掛けるのだって、おいしいせいろもあるけれど、
あの辺り一帯の路地裏イオンを吸いたい気持ちも強いのだ。
とりすきの「ぼたん」やあんこう鍋の「いせ源」や甘味どころの「竹むら」は、
江戸紳士の池波正太郎さんじゃなくたって惹かれるし、
味は無論のこと木の家の凛とした張りのある風情までもがまとまって残っているのは、
いまどき珍しい職人精神の印のようだし、
事実東京でもこの須田町界隈の靖国通りよりちょいと入った「やぶ」の一角
しかなくなってしまったのだから。 
表通りよりも裏通り、横丁や路地や脇道や抜け道こそが、僕らの空想旅行にはふさわしい。
昭和の台所の匂いがしていたり、小道の真ん中にいきなり井戸が登場したり、都会を切り取った景色の見えるクランクのような坂道の路地には、すれちがうこともままならないほどの狭い道を歩く人を嘲笑うように、丸い黒猫と塀の上にはカラスがいて、「時の世俗化」に抗議をしているかのようだ。
本郷東大裏の外人坂付近は大量の路地裏イオンを発生させている。 
「風流」こそ離俗の精神なのだから(九鬼周造)、僕らはもっと道から逸れていくことを、本格的に熟読玩味しなければならない。
流行のまかりとおる大通りから、不易流行の小唄の流れる路地裏へと。資本の占領する街角から、天国の経済である骨董の横丁へと。
いざ、路地裏へ! 
戦後最良の玩具メーカー「マルサン商店」は浅草寿町の裏手にあった。 
僕が店を開いてまだまもない頃、一本の電話があった。「元のマルサンの倉庫のあった所を壊してるよ、入ってみたら。なんか出るかも知れないよ」 
自転車をぶっ飛ばして「寿町三丁目五番地十一号」へ行った。ペダルをこいだ十分間はタイムワープする準備体操の時間だった。 
まるで時の崖っぷちに引っ掛かっているポーのアッシャー家の館のように、平成になったばかりの世に、木造二階建ての倉庫が路地裏に忽然と姿を現したのである。
雷門の喧騒からたったの五分ほどのところで、夢クリエイションというキャッチコピーを掲げていたおもちゃのバンダイからも、わずか五分の足元に存在していた。 
解体工事はすでに始まっていて、二階へ上がる急な階段だけが、妙に印象的だった。中を見せてもらったが、すでにマルサンが潰れた時に知育玩具メーカーの倉庫に変わっていたため、もの的な収穫はなかった。 
でもこの時、僕はまだ本当のことを知らなかった。というか、古色蒼然としたあの景色を強烈に目撃した者にしか沸き上がらなかった「悲しい誤解」でもあったのだ。
あの建物の解き放つオーラを感じなかった玩具研究者など研究者ではない。
玩具組合で資料調査をしている時、「トイジャーナル」に次の記事を見つけた。
・・・乳幼児玩具の専門問屋鰹シ敬では、このほど台東区寿の株式会社マルザン(業界通称マルサン、倒産前にマルザンに改名)(石田実社長)の旧本社社屋を譲り受け、十二月一日から(1968年)倉庫および配送作業場として使用を始めた。これにともない同社では、返品その他の貨物はすべて新しい作業場へ送付されるよう希望している。・・・ 
倉庫に見えたのは、実はあのマルサンの本社であった。ウルトラマンやゴジラなどのキャラクターもので日本中をとりこにしたあのマルサンの本拠地であった。
僕ならずともここに中小企業で終わったおもちゃ屋の先進性のなさ、古い企業体質を見るものも多いし、あえて否定はできない。 
しかし僕はこの木造社屋に、余分なものに金をかけまいとしたマルサンの下町旦那魂、いいものしか作らない、納得できるものしか売らないとした武士道商売の気風を、今の今に至るまで感じているのである。 
町中では、神社もまた路地裏世界にある。深山幽谷の地にある正統的な神社も天然世界のいわば小道にあたる路地裏である。 
三十を前にして僕がオートバイに乗るようになった理由は、スピードではなくて、どこまでも行けるその行動力にあった。
ガソリンさえいれてあげれば、まだ旅したことのない街まで行けるその冒険心が僕には貴重だった。 
二十九才の夏休みのロングツーリングの目的地は、出雲大社だった。
それまでもなぜか神社の荘厳な雰囲気が好きで、観光地化されていない昔のままの鎮守の森といった神社なら、別段お祈りをするわけでもなく、ただそこにいて、太古の緑濃き匂いを嗅ぐのが、決して図書館では味わえない高等な散歩であった。 
京都南で高速道路をおりて、下の道を走り続け、蕎麦通として一度は食べたかった出石蕎麦をと思って道をきこうとしていたら、分岐点を見れば「丹後の元伊勢神宮」の標識があった。
それがかつてのお伊勢参りの場所、大江山山麓の「元伊勢神社」との出会いだった。
神社はまさしく神域で人の誕生以前からずっとそこに存在していて、森は人の歴史以前の文字であろうし、山は動物以前の歴史の図象であろうし、文献の記憶よりもさらに古いと思われる。碧空は縄文の昔も天を飾っていた色合いの空だ。
「神さびる」という言い方があるのは、後で知った。辞書によれば、(年月を経た木が茂っていたりして)社殿や境内の様子が、この世ならず静かで落ち着いた雰囲気だ、とある。古びていることだけを狭義に意味するわけではない。  
利休、織部、遠州たち茶人が必死に求めたり、芭蕉が訪ねたりした「寂び」は、神社の永遠不滅の「神さび」の中に故郷をもっている気がしてならない。 
また神社の古名「社」とは、「癒し路」の省略表記でもある。
いわずとも天然の錆びていく姿を感じ取った「神さび」の美意識は、少しでも宇宙の現象の背後にあるものに近づきたいとする揺れ動く人間たちを魅了し、参拝する者には一時の詩人の気分を与えた。 
「郷愁」が住まいとしたのは、路地裏そのものではなく、路地裏的世界であり、ある特定の時代に住んでいたわけでもなく、誰にも独占できぬものであり、この世の敗者にもそっと持てるただひとつのものであり、思い出に貶めることのできないもので、あの神社の森の奥に住まうものである。 
「これ、いゃあ懐かしいね」と声をあげても、たいていの人は自分の子供時代の記憶を美しくリピートしたいだけで、「郷愁」を所有できるか、その住所がここにあると勘違いしている。 
文壇を逐われ自らの手で路上生活者すれすれのところに位置を置いたとはいえ、覚悟を決めた元《童話の天文学者》稲垣足穂が書き記した一行「地上とは思い出ならずや」に、「郷愁」の身の寄せどころをやっと感じるようになったのは、つい最近のことではあるが。 
足穂の連発する「宇宙的郷愁」とは、僕らも物質も共にふと我に帰りたくなるあの瞬間に感じる見えないシグナルなのである。 
デルタ・ミラージュへ一時引っ越した最初の日、鉄人のブリキNO3はゼンマイなど巻いてもいないのに、五年ぶりに突然動きだし、僕を感動させた。  


[注文の多い鑑賞例]
●冒険のない郷愁は存在しない(店主)
●郷愁というのは、心のなかのもっとも柔らかい肉の部分なので気をつけないと、食い破られることがある。(店主)
●骨董屋は趣味の門のとある入り口を解除した。滅多に開けてはならない門だった。その結果、邪も魔も入ってきた。その門の名前は「郷愁」である。(店主)





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