◆◆◆◆◆骨董魔術論◆◆◆◆◆

■ 郷 愁 の ガ ー デ ン 
二十年ぶりに開いたアメリカルネッサンスの哲人「エマソン」の本の中には、公園があり、ベンチがあった。 
僕にとってのアメリカは、エマソンやブラッドベリの輝くアメリカなのだ。 
そしてエマソンの歌う星は、何年たっても輝きを失わない星だった。
「もしも星が千年にひと夜だけ現われたら、さぞかし人間は信じて崇め、ひとたび示された神の都の記憶をいく世代ものあいだ持ちつづけるだろう。ところが毎夜これらの美の使節は立ち現われて、その訓戒の微笑で宇宙を照らしてくれるのだ。」 
なんと表現したらいいのだろう。偉大なものは、変わらないのだ。 
本の中には精霊が住んでいる。そんな気がする。初めてそう思った。
「夢見る力」を書いた評論家のコリン・ウイルソンがお気にいりのフレーズ。ヘッセの 「荒野の狼」に出てくるセリフにも、星が登場する。
「私は永遠を思い、モーツアルトと星々を思った。」 
僕の《星のコレクション》の一つだ。
僕は《非存在の存在》をいくつかコレクションしている。  
星は存在するけれど、僕らが起きている昼の時間は見えなくて、全天の星座を見ようとするならば、僕らが眠る夜の時間帯に起きて見なければ、見えない。星が象徴するものはまさしく「目覚めなければ見ることができない」という天然の真理であり、巨石に星座を描いた古代人の時代から、都市を離れなければ明るすぎて天体観測のできない原子力時代の現在まで、眺める者に等しく神秘の雫を降らす。 
星は自然界公認の玩具である。 
久保田早紀の「異邦人」がヒットしていた1970年代最後の年、国立のライブハウス「Milky Way」の広告を担当していた僕は、まず「COSMIC JAZZ CITY」というコピーを作った。 ビジュアルには、おもちゃを使った。葛g屋のプラネットロボットの手に、クリスマスツリーで先端に使う銀色の星を握らせた。 
ロボットは高さが22センチ、ブリキ製で、形は映画「禁断の惑星」にでてくるロボット・ロビーの最終版で、頭は剣道の面の両脇にアンテナをくっつけたような奴だった。色は黒。動力はゼンマイで、歩くとお腹から火花を出す。東京売価では340円。初発売は1968年頃。 
掲載誌はタブロイド判のタウン誌で、僕はその制作会社で営業兼制作であった。いつも借り物のサイクリング車で、立川、国立、国分寺あたりを取材と広告とりにまわっていた。広告とりはもちろん飛び込み営業の世界だ。 
この広告にはもう1バージョンあって、ブルマァクの超合金アンギラスを採用したものだった。国分寺にいく坂の下に、古いおもちゃ屋があって、店頭のワゴンには、売れ残って箱が日に少し焼け、特価にしてもそれでもまだ売れないタカトクのZ合金のロボツトシリーズがいつもあった。 
谷保の方へいき、小学校の側の駄菓子屋や文房具屋に入れば、袋入りのポピーのミニソフビ人形「ゲッター1」、立川との境の辺りのおもちゃ屋と食料品屋を兼ねた店には変身サイボーグ1号の新品が、眠っていた。 
おもちゃも十年ものなら、探すのは楽だ。二十年が限度でそれをすぎると、出てこない方向へむかう。僕がそれを悟ったのは、とうにおもちゃ黄金時代(一九六〇年代)から二十年以上たったある日のことだったが。 
街のいわば葉脈にあたる自動車の入ってこられない道や、住宅街の道や裏通りや露地や商店街を、自転車の速度で散歩しながら観察し、普通の勤め人がいなくなった後の街の午後の空気を吸うのは、とても不思議で、もうひとつ別の時間の流れる迷宮か、あるいは僕ではない他の誰かが書いた本の中の一ページに取り込まれているような気がしていた。 
自転車で巡るには、国立はあまりにも美しい装丁だった。 
駅前から一直線にのびる「大学通り」の両脇の街並。東西書店、スーパー紀ノ国屋、喫茶店「白十字」、美大生や音大生の多かった小さなアパート、一橋大学。通りの反対側のライブハウス、民芸品屋、やほ天蕎麦、画廊……。 
そして隠れ家的喫茶店といえば、聖霊舞踏家・笠井叡さんの主催した天使館の流れをうけた舞踏家、僕のセイレーン堀内博子さんの「ガラス玉遊戯」がオープンしたばかりだった。 
現実の中に流れるもうひとつ別の時間の中に仕事としてたっぷり浸れるのは、僕には幸運だった。骨董屋としては、充分な遊学であったことが、現時点では解る。 
この25才の頃の僕は、たぶん僕の魂の第一次回復期で、断食をした後の時期で、自然回帰指向の強かった時で、明治記念館で結婚式をあげたこともあって、生活の拠点には東京の機械的指向を離れた奥多摩の入り口ともいうべき福生の米軍ハウスの広さと落ち着きが欲しかった。 
庭のいちょうの木の間からは、星が星らしく輝いて見えた。
晴れわたると、玉川上水越しに富士山が覗くこの福生の地は、「失念」と「諦念」と 「失語症」からなる人生との重い感染症にかかりかけていた僕には、今だに懐かしい小春日和の場所であり、友人たちも年をとらずにずっとそのままで元気にしていてくれる「郷愁の場所」なのである。
でも、「郷愁」はもう少し別なものかも知れない……。個人的感傷とは、違う感情のような気がする。
正方形のフォト/エッセイ集『怪獣玩具の冒険』の初刷りがフィルムアート社から届いた5月の黄金週間あけの土曜日、最高と最低が織り交ぜて訪ねてきた。
1995年5月25日〜7月9日まで銀座の東京ガスの展示場で「鉛筆大好き展」を一緒に行なった文房具大好き仲間でおもちゃハンティング仲間の美術館学芸員「浅沼充さん」の訃報が入ったのは、開店してすぐの電話だった。
大好きな紙ものと一緒に原因不明の出火により、先に天国へ去ってしまった。自分の足で探し、仲間を大切にし、趣味を楽しみきる本格派のおもちゃ人間だった。
遠く足利から車のついたボストンボックを引きずりながら大男の浅沼さんは「いやぁ、この間またへんなもの見つけたんですよ」といいながら、店に入ってくる。
ショックの抜けやらないうちに入ってきたのは、また「美しい偶然」だった。
「東京の世紀末を見にやってきた」と福生時代からの親友の阿波徳島の天才、伊賀公一くんが午後一番の客できた。聞けば、コンピューターソフト関連会社の営業部長として、家族ともども東京へ移動してきたという。
僕は伊賀ちゃんから、ブライアン・イーノを教わり、5万円で買った彼の乗用セダンに乗り、「奥多摩マジカル・ミステリー・ツアー」と称して五日市の養沢神社まで荒ぶる神「アラハバキ」の足跡探査に出発したりした。
その伊賀ちゃんが、故郷の徳島へ帰るのと前後して僕は都内の広告会社へ勤めることになり、住まいも北品川の天王洲へ移り、わが青春の福生時代は終わったのだ。
それから15年は確実にすぎ、伊賀くんは伊賀くんだったし、バックミンスター・フラー*1の折り畳める住宅のことをしゃべる彼の目は変わらない。
そしてまるで解っているように、この僕の人生の大事な日に彼はやってきて、合流することになる。
・・・今度こそ、昔よりは上手くやれるさ。お天とう様のもとで今度こそ、ギャフンといわせてやろうじゃないの、我らが宇宙に。 
福生時代よりも5年前、二十歳にやっとなった頃、僕が人生の最初に出会った学校は、新宿番衆町の紫色のビルにあった。総合的前衛誌と形容されることの多くなったオブジェマガジン「遊」の編集部があった。
戸沼恭さんには、古今東西の幻想文学者のアイドル「ロード・ダンセイニ」と惑星ソラリスでないスタニスワフ・レムを。上司だったことで今も頭があがらないが、十川治江さんには「分析力の必要性を」。デザイナーの戸田ツトムさんの仕事は、後ろから見せてもらった。 ライアル・ワトソンの「スーパーネイチャー」を読んだのもここだし、まがりなりにも量子力学に触れたのも、ここの場所だった。
まだこの頃はアンダーグラウンドシーンの出口王仁三郎といった風体だった松岡正剛さんには、「郷愁」を教わった。「郷愁がなければ、文学は駄目だ」としゃべってくれたことを、昨日のように思い出す。なぜ郷愁なのかは、僕の中で長く尾をひく課題になっていた。
三十をすぎて、夢見る頃をすぎたとは思いたくなかったせいか、骨董玩具屋を始めるとその世界はまさしく毎日が「郷愁とのデッドヒート」だった。
「郷愁」についてある程度結論は出ているが、「郷愁」を軽々しく合理的な夢として語ろうとは思わない。
エマソンの「星」、ヘッセの「星」、福生の米軍ハウスの「星」。居なくなってしまった「星」、帰ってきた「星」、目撃した「星」。
空に瞬く星から、いわば人間という星まで、多種多様な星を、僕は見てきた。星の運動の軌跡を「郷愁」と呼ぶのかもしれない。
そして僕のように「骨董屋」という特別な時間割りで動いてきた「星」には、どの星も僕の個人的事情で星が出没するのではないということが、少しずつ理解できてきた。
宇宙には「個人的事情」などはない。宇宙の事情があるだけだ。
「郷愁」について、整理すれば、こういう事情だろう。
「郷愁」は商品の中にはない。「郷愁」は 「時間」の変数である。
「郷愁」はある種の「冒険」とともに発生する。
古代ギリシアの聖賢プラトンがすでに予見していた。
「人間は生まれる前から、ある星に住んでいた。
その星から地球を見て好奇心にかられ、地上に降りて人間の姿をとった。
以来、自分の故郷の星へ戻ろうとしながら、余生をすごしている。」

[注文の多い鑑賞例]
◎夢の海原の八十島をかけて 思ひ出の沖を吹き巡る風を集めて 私達はやがて出會ふだろう 永い時を戰ぐ旗にして 思ひの寶石を額に飾り あなたの前に立つ日が至れば 自らの輪郭を犇犇と感じ乍ら 秘し持つ互ひの紋章をとりかはそう……(堀内敬子/詩集 『答禮』)
◎象徴、表象、郷愁は無意識のドラマと啓示から出現する・・・そしてこれらのドラマや啓示を通して人間は「自然」、宇宙全体と生きた交流をするのである。(エリアーデ/日記)
◎我死なば花な手向けそ浜千鳥、呼びかう声をかたみにて、落葉の下に埋めてよ。十二万年明月の夜、訪ひ来ん人を松の陰。(岡倉天心)
[註]
(1)フラーは、二十世紀のダ・ヴィンチあるいは未来のプラトン主義者とも呼ばれるアメリカの技術家、建築家、自然学者。一八九五〜一九八三。「宇宙船地球号」の提案者。伊賀氏はそのフラー思想の研究家、フラー・ムーブメントのキーパーソンである。

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