◆◆◆◆◆骨董魔術論◆◆◆◆◆


■ 織 部 と マ ル サ ン   

相似とは、コレヨリサグレ(警告)であって、コレデオワリ(讃歌)ではない。 
《似せていくこと》が大切で、憧れが生まれ、夢がわきたち、そこに尊敬が漂い、そして時の協力をえて、伝統という奇跡の大河に合流する。 
十一月の暖かな火曜日、早起きして岐阜県美術館へ「織部…いわゆるオリベイズムについて」を見に行った。 
織部の紐解きにテンションを合わせるために、前々から読む時機を計っていた、シュールレアリズム宣言を車中にて読んだ。
シュールを理解し体得するとは、結びつきそうもないものを結びつけること。
二点間の見えない秘密の関係を探り出すことにある。 
織部が何と「似ようとしたか」、僕は見切ってやろうと思った。 
シュールリアリズムの模範例として、ロートレアモンの「シャンペンのルビー」という言葉が登場したところで、岐阜駅に着いた。 
バスで十五分ぐらい走ると、紅葉の公園の中に美術館はあった。
そしてお昼をはさんで二時間くらい見てきた。 
織部の概略から整理してみよう。 
安土桃山時代の武将・茶人で美濃の人。
千利休の高弟で織部焼で知られる。信長・秀吉・家康に仕え、諸大名に茶法を伝授。が豊臣方への内通を疑われ、大阪の陣のあと切腹した。(日本語大辞典) 
今回の織部展は国内外の織部が里帰りした画期的なものだった。 
美の価値は僕らの器量によるものであるから、見落としも見損ないも見誤りもあるとは思うけれどメモをとってみた。

●「画ハ小児ニカカセシ」(当時評)*1   →茶碗に絵を描く(それまでは無地が基本)
●異文化のデザイン
●歪み(それまでは左右対称) 

織部を一言で説明するなら、ゆがんだり、ひずんだりしている様式のやきものである。
織部の黒は名高いし、緑縁の皿もある。
「冬枯」という銘の黒織部の代表作を、記念図録では現代スペインの美術家ミロの作品を想わせると解説している。文様は格子模様や、串団子と愛称のある円と直線のパターンやらで、そこだけを覗き込めばモダンアートの作品と錯覚しかねない。

●対照表●
織部(やきもの) マルサン(怪獣玩具)
産地 美濃 瀬戸
非対称 非対称
特徴 歪み 歪み(しわしわ)
破格 絵付けが画期的 色つきのソフビ(初)・やんちゃ造形
影響 ワールドバロック シュールレアリズム
種類 生活品 嗜好品
生産 大量生産品 大量生産品
精神 茶・オリベイズム 浅草玩具魂・マルサンイズム
開祖 古田織部 石田実
製作 無名の職人 無名の職人

織部もマルサンも長い間忘れられていた。
とくに織部は、茶人織部と織部焼の関係が今ひとつわからなかった。
現在の説では、瀬戸ではなく美濃焼となっているが、これもわかりにくい。
瀬戸と美濃は隣どおしである。ネーミングも陶工たちが織部風にあやかったため、織部と呼ばれるようになったらしい。
残念ながら、直接織部が指示したものではないようだ。 
天下のマルサンが世界初の怪獣玩具の原型製作を思案した時、瀬戸の名があがったのは、美しい必然だった。  国内にほとんど出回らないために知られていないが、瀬戸には「ノベリティ」という商品がある。
童話の動物・鳥・人物などをかたどった輸出専用の高級な置きもので、瀬戸の生産の半数を占める。 
また瀬戸にはバイタリティがあり、和洋食器だけでなく、電柱の碍子、プラグ、お風呂のタイルから先端技術のニューセラミックスまで、土と火に関係するオールジャンルを生産している。 瀬戸からすれば、輸出用のノベリティを作っている実績があるので、空想科学的生物すなわち怪獣を手がけるのは、経験もあり、技術もあり、職人もあり、恐るるに足らずであった。
怪獣の原型を粘土で造るにしても、材料の土はいうまでもなく豊富にあった。 
東京の下請けが多忙と技術的困難を理由に避けた、「海図のないような状態」での怪獣玩具の船出も、ここでは順調な航海だった。 
顔以外の皮膚のモールドや尻尾の処理や背中という参考資料の少ない部分はもとより、新興のソフトビニール職人ばかりでなく玩具業界もあまり手がけたことのない、顔プラス複雑な体、しかも一体一体顔もボディも異なり、そのうえグラマラスな体型もチャームポイントという、総合的身体表現の破格な新商品「怪獣」は、陶祖藤四郎に始まる瀬戸の両腕でなければ受けとめることができなかっただろう。
こうしてゴメスやガラモンなどのウルトラQ怪獣は、やわらかみとあたたかみのある絶妙な曲線をもつ、あたかも「瀬戸の青い磁器」として誕生していくのである。
そして東京の下請けで瀬戸で造られた粘土原型を雛型に、いよいよソフトビニールを量産していくのであった。 
織部とマルサンの類縁をただ追ってみても、時代も違えば、茶器と玩具という区分もあるので、簡単には結びつかない。
しかし、それは織部とマルサンを結びつける人がいなかっただけで、共通項目はその気になればたくさん見つかるだろう。 
マルサンが織部に似ているから優秀だということを強調したい訳ではない。 
両者の形、特徴、革新性、影響、製作者などの要素をチェックして、ある環境が整った時に「イイモノ」が産まれるということを、僕は再発見したかったのだ。
「環境整備」という場づくりこそが、「イノチ」の生まれる源なのだ。ものづくりにあっては創造力ともいう。 
なにはさておき「職人」が見え隠れするところも、僕にはうれしい。 
職人にとっては親方に「似せていくこと」が修業という名の成長法であった。
仕事ぶりはおろか、食い物の好み、遊びっぷりまで似てくることもしばしであった。
親方は仕事の師であると同時に人生の師でもあった。 
それが何故かと問う不幸もなく、職人があたりまえの人種であった時代は、現在美術品といわれる品物が生活の井戸端で使われ、活用された実り豊かな精神の時代でもあった。 
織部やマルサンが覗かせた創造の領域の大空も、まだ未知の可能性を残している。 
どの織部のテキストを開いても、織部の 「歪み」に関する記述が少ないように感じる。
「歪み」を本質ではなく、あたかも流行かあたりまえの事実としてとらえているためか、軽く流している。
「歪み」は人間精神の歪みを意味しているのではない。
まるで逆を意味している。
職人が 親方に似ようとするように、親方は経営者であるよりも頭領であろうとし、心をあめつちにあわせ、頭を空高く向ける。「雲ひとつない心」に憧れ、わが心を似せようとした。
「似せていくこと」が安全確実な修業法であった。
名人はさらに名人のなかの名人をめざし、最高の名人は無心の子供のような境地に似ようとする。
それはおごりを戒める効果も内に秘めていた。
改めてなぜ歪みかと問われれば、宇宙の真実性に呼応した人間の表現形式だからだということが、精一杯だ。
静止よりも運動、緊張よりも微笑、そして非対称性を取り入れ歪ませれば、象徴が具体的ににじみだすききめをもつ。       
つまり、宇宙は「歪んだ表現形式」であるという大胆な直観があるのだ。
宇宙を均一で、直線的な形式ではなく、生命力に満ち、混沌で、螺旋的な形態と見立てている。
織部とは混沌という器。
混沌という薔薇を活けた宇宙である。
「似せていく」ことは、宇宙あっての人間という実感を取り戻すために、人が生物を逸脱しないようにと、古来より各民族の聖賢が知恵をしぼった偉大な創意工夫。
植物や鉱物や人間以外の生物がみんな無言のうちにやっていることなのである。
親方である天に「近づこう」とする行為でもある。 
左右対称性はその見立てにおいて、天然事象をもてあそんだか、技を過信した人間の贋作である。
美しいかもしれないが、生命力の感じられない、冷たく枯れた氷の薔薇だ。
明治の数寄者たちによって美術館に鎮座することを余儀なくされた茶器だとて、基本的には大量生産品にすぎなかったことを知ることが、「鑑定団の時代」の僕らの審美眼の最低の常識であって欲しい。
サンダーバードの秘密基地のプラモデルやスロットレーシングの方が、生活品でなくよほど高価な貴族的嗜好品であった。 
職人は美を目的にしなかったが、美を読み取る人がいたために、茶器とて地位が上がったのが真相である。
或いは岡倉天心ならば、「美の読解者なくして美は成り立たぬ」と弁護してくれただろうか。 
古田織部だったら、新幹線の窓ガラスから見える夜九時すぎの二十世紀末東京のパーソナルコンピューターの内部のような夜景を、どのような意匠にしてやきものに仕上げるのだろうかと、思ってみた。
品川から新橋までつづく工事中のクレーンの赤い光に、織部とマルサンの残光を求めながら。
織部焼は忘れられた美濃焼で、峠ひとつ越せばそこには、怪獣の原故郷「瀬戸」がある。
不思議な因縁である。文化的遺伝子が時空をこえて伝播したのであろうか。 
それとも怪獣はもともと織部焼であったのだろうか。


                                        

[注文の多い鑑賞例]
●短歌は一箇の小さい緑の古宝玉である。 (北原白秋/桐の花とカステラ)
●行く春を近江の人とおしみける(芭蕉)
●芸術において、類縁の精神が合一するほど世にも神聖なものはない。(岡倉天心)
●人の芸を盗むんだったら、自分に置き換えてみるんだ。(柳家金語楼)
●仏法、歌道ナラビニ能、乱舞、刀ノ上、下々ノ所作マデモ、名人ノ仕事ヲ茶湯ト目明ノ手本ニスル也(山上宗二記)  

[註]    
(1)〜(2)織部の「異文化のデザイン」、「ワールドバロック」について、少々…。バロックの語源は「歪んだ真珠」。十六世紀末から十八世紀初めのヨーロッパの美術様式。強烈な感動表現、絢爛たる装飾性。この世界的な「バロック」の波が押し寄せ、織部も影響された。ヨーロッパ人をそのまま形にした燭台、ガラスの容器を模倣したカップなどがある。 
●怪獣玩具の「色つきのソフビ」について、少々…。肌色の人形が一般的な時代に、皮膚の色が紺、茶、緑、ピンクなどの色をして、さらにこの皮膚の上に色を重ねた怪獣人形は、なんとも破格であった。  怪獣玩具の「歪み」について、少々…。怪獣が極端な歪みをもつのは、キャプテンウルトラの時期が顕著で、ウルトラセブンの時期に完成する。西欧的対称の「リアル」世界でなく、「歪み」を多用する日本的非対称の 「ディフォルメ」世界に美を感じ、「やんちゃ造形」として親近感を抱き、怪獣玩具を支持してしまった子供たちの鑑識眼については、拙書『怪獣玩具の冒険』(フィルムアート社・一九九七年)を参照されたい。 


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