◆◆◆◆◆骨董魔術論◆◆◆◆◆

■ 虚 空 の ハ タ シ  

シュールレアリズムの女流作家ジョイス・マンスールの『充ち足りた死者たち』を復刻した「書肆マルドロール」の小山さんから、「まるで怪人二十面相みたい」といわれた僕の岡倉天心論なのだが、ミステリアスな天心の代表的な顔の一つは、怪盗紳士アルセーヌ・ルパンか名探偵シャーロック・ホームズなみの「美的探索者」である。 
事実天心は、文部省の役人として若き日よりたびたび京阪地方の古美術調査を行なっている。晩年病をおして古社寺保存会に出席し、法隆寺金堂壁画保存について提案し、建議案を作成したエピソードも有名だ。いうまでもなく、東京美術学校校長であり、日本画家横山大観の師であり、アメリカ・ボストン美術館の顧問であった。 
そして知られざるもう一つの顔はは、岡倉天心が「明治時代最高の骨董屋」だということだ。天心がアメリカ人編集者にあてた書簡では、「1863年に生まれ、子供の頃から古物を好み、大学卒業後、古美術研究のためのクラブ及び会をいくつかつくり、1886年には西洋の美術教育に関する報告をするため、政府任命の委員として欧米に派遣。帰国後、前述の校長になり、同時に帝国博物館の主要な創立者の一人となった」とある。そして博物館の義務は「古代建築、寺院の古文書、及びすべての古美術の見本の研究、分類、保存」と述べている。十二分であろう。誰よりも多く、直接、古物を見て、触り感じた人間は、学者、研究家、骨董屋すべてをあわせても、今の今まで天心に勝る人物は現われてていない。 
それでは骨董において、写真ではなく、直にものを見ることが基礎体力となり、店から買わずに自分の足で探すことがなぜ大切な極意なのかということを、天心に見てもらおう。
またコレクションということが、どのような放射線を人生に投げかけるのかを、追ってみよう。
 天心の中国買い付け旅行より探って、天心流の鑑賞術を身に着けてみたい。
中国行きは計四回。
最初の明治二十六年は、帝国博物館(宮内省)より、中国美術調査を命じられる。帰国後、日清戦争が勃発している。『さまよえる湖』の著者スウェーデンのヘディンらヨーロッパの探検家が次々にアジアに押し寄せる直前だった。
期間は約半年。学術的には、仏教美術の宝庫巨大石仏として今日知られている龍門石窟寺院を最初に発見した日本人になった。重要性を説いたが、反響はなかった。
至るところで幾度もまじかに、美術品の破壊を目撃した。このことが美のルーツ中国に対する幻想を打ち破り、日本文化の独自性追求、保存の重要性を加速させることになる。
何人かのコレクターにも会っている。相手の事情という難問をこう分析している。
「……秘蔵と云うのは支那に於ては誠の意味を以て居て全くの秘蔵であります 物を見せると云うのは呉れると云うのと同じものだと云うことであります 実に支那で物を見せるのは大抵は偽物を見せて真物を隠して置くのが慣例であります ……十日間とか一ヵ月間滞在するなら見せて遣ると言いますがコチラは直ぐに立たねばならぬのでありますから見ることが出来ませんでした……」(原文のまま)
こんなエピソードもある。
たまたま助手が小便をしていると、草原に横たわった異状なものを発見した。天心が何事かと近づいてみれば、それは打ち棄てられた二体の白大理石の見事な観音像であった。ただし首がなかったため、通訳と三人で必死になって探し、雑草の下にどうにか首を一つだけ見つけた。せめて首だけでももちかえろうと思い、ともかく馬車に運び、馬夫に銀五両を前払いし、北京公使館か天津領事館まで無事に届けばさらに銀五両の約束で頼んだ。
帰国後、天心は悪夢を体験する。観音像の首は届いていず、その後の調査にも関わらず出てこなかったし、胴体も草原から永久に姿を消していた……。
次の本格的な中国行きは、スキャンダルで校長を追われ、岡倉は美術商になったのではないかと疑われたボストン美術館の時代である。さらに晩年にも。辛亥革命の渦中に。
天心の立場は明確であった。競売や業者に頼ることをしなかった。コレクターにも厳しかった。それは、明治維新と中国の動乱という二つの革命の目撃者としての義務感に基づくダンデイズムであったと想像できる。
……収集家として成功している者は、冷静であり、多くの点で人間の本性に通じていなければならない。また収集家は弱味があれば情容赦なく付け込んでくる業者に対し、これを圧倒する力を行使できなければならない。
僕らはコレクションの放出に没落という事情がからんでいるのをうすうす感じていても、この血の匂いまでは感じ取れない。天心は彼一人しか感じられないことを、感受してしまう。
……錦州に到着してみると、残念ながら私が期待していた満州人の蒐集家は、家を捨てて旅順口に避難してしまったことを知りました。彼はわれわれが購入した青銅器の所有者の親戚で、熱烈な王政派です。われわれが支払った金の一部が暗殺者を雇うために使われたおそれがありますが、報告によれば暗殺者に対する需要は、現在のところ双方とも非常に高いとのことです。そこで私は、帝室秘宝を再調査するために奉天に来ましたが、それらは昨年の冬、散逸するとの話があり、またフランスのシンジケートによる莫大な額の申出があったとの噂もありました。
また、こうも書く。
……革命の暗雲が最も深刻な形でその上に影を落としたあの満州貴族は、とうとうその先祖伝来の家宝を売る気になりました。しかし、彼らに決意させるには長い時間を要し、実物に接するのに多大の困難がありました。それは彼らが、所在を知られてしまうと掠奪にあうことを恐れ隠してしまったか、さもなければ、ヨーロッパの商館に保険を掛けて保管を依頼してしまっていたからです。
……この情況にはロマンがありますが、ひとつの偉大な王朝が滅びゆく運命の中に、ものの哀れを感じないわけにはいきません。私は、打ちのめされた蒐集家!あわれな男!のために拙い詩を無理矢理に献じさえしたのですが
・・彼はこの詩にあきれたのか、生きながらえることもできませんでした。一方では、抜け目のない美術商が動き回っています。……
日本における骨董の歴史の最初の記録は平安時代で、その後の時代も将軍や僧侶が、中国の美術品を愛好したようであるが、中国においては皇帝こそが最高のコレクターであり、その強いコレクション癖は、強奪と没収を繰り返す血の履歴であった。
そうさせないというのが、天心の心情であった。美は公平にも一ヶ所に集中することを好まないと天心は断じていた。美を独占させないように行動したのが、天心といえる。
骨董屋にはハタシという別名があるように、旗を立て目印にした場所を自分の領分として、一所不住、士農工商の枠の外、自由な精神と岡倉天心にも似た天真爛漫な美の見立てを出自とした。
堕落する前のヨーロッパ中世の錬金術師にも似た姿であった。がらくたを金に変えようとした錬金術とは、単なる換金術にすぎない。真の錬金術とは、内側の錬金術のこと。名もないものを心の内の美しいものへと育てていくその秘術にあった。
骨董の見立てとは、まさにがらくたを美に変える内側の錬金術にあった。古きものが価格という重い鎖にしばられていることもわきまえず、見立てという合い鍵も使わず、自己顕示欲により勝手に鎖をはずし、身を滅ぼす者のなんと多かったことか!
ものにまといつく運命までも享受し、時には評価を上げるために、ものに転んだ骨董屋、蒐集家をはじめあらゆる世間的評価と戦うことを意味するのが、骨董との深い付き合い方である。ものとの直の付き合いなのである。
常に天心が骨董品の流れる血を恐れたのも、骨董が「パワートリップ」(力の陶酔)であることを見抜いたからに他ならない。
販売期間の過ぎた眠っている商品を死蔵品、或いはデッド・ストックというけれど、この何とも言い得て妙なこと!
仮に僕が骨董に新たに名前を与えるとすれば、それはこの世にありながらあの世のものという意味と、そういう性質のものを読み取り読み移すことだという二つの意味をこめて、「黄泉ウツシ」という言葉を捧げたい。




[注文の多い鑑賞例]
●この世界はある独特な幸福を約束しているのだよ。ただ、私たちにはそれを掴む用意が充分にできていないのだ。(ロレンス・ダレル/アレクサンドリア四重奏)
●栄光は死者の太陽である。(バルザック)
●心せよ!戯れに亡霊を装ひなば亡霊となりぬべし(カバラの戒律)
●「想像力」が驚嘆すべき宝への神聖なる導き手だ。驚嘆すべき宝とは、あなた自身の王国である人跡未踏の存在だ。(ミハイル・ナイーミ/ミルダットの書)
●日地月合わせて作る串団子星の胡麻かけ喰う王仁口(出口王仁三郎/中国遠征へ出立時)

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