◆◆◆◆◆骨董魔術論◆◆◆◆◆

■ 完 全 な る コ レ ク シ ョ ン   

説明しづらいことではあるが、星とともに「出口王仁三郎」は骨董屋という洞窟にいた。 
人はたびたび人生の悲運を嘆き、諦め、再生を願うが、それを二度も三度も繰り返すうちに、リモートコントロールできない我が人生をしまいには生活という神に捧げることになる。 
中には幸運だと思われる人もいて、今までの苦労と引き替えに、ポルシェのオープンカーかBMWを、あるいは週末用の女性を用意するというのが一般的であったが、最近はバリエーションも増えてきた。 
彼らはコンドミニアムにあきると、ついに骨董という「いい趣味」に触手をのばす。時間をコントロールしたいという欲望のもとに。おもうままに動かせる「現在」というコレクション・ルームをより拡大しようとして、ついには生い立ち不幸だった「過去」を現在の名声で埋めつくし、取り戻そうとする。 
あらゆる意味で「骨董」には二重三重の意味での人生が集約されている。 
骨董の中でも、「茶」は最上級のアイデンティテイ・ブランドだった。 
関白秀吉の黄金の茶室を持ち出すまでもなく、茶器の置かれた美術館の厚い陳列ケースや倉にしまわれている旧家の秘蔵品の類、豪華な日本美術全集などにみる重々しさは、茶の放つ妖気でもある。   
明治時代を覗いてみると、昼は実業家、夜は茶人というタイプの趣味人がいた。世間は「数寄者」*1と呼んだ。代表人物は、益田鈍翁、高橋箒庵。横浜の庭園で知られる原三溪もそこにいた。 益田鈍翁は、三井物産の設立者で初代社長であり、箒庵もまた然り。紛れもなく日本の経営者たちであった。 
明治にはいって、文明開化の名のもとに江戸的な風俗習慣は、切り捨てられようとしていた。「廃仏毀釈」がおこり、日本中でお寺仏像などが破壊された。 
不思議なことに、彼らは昼は日本の洋風化につながる仕事をして、夜はまさに日本文化の保存につながる仕事に取り組んだ。 
茶器の招集は当然として、仏像、経巻、書、屏風など広い範囲のものが求められ、茶室に飾られる場合もあった。美術商はつねに数寄者の周りにいて、彼らの手足だった。 
今風の言い方をすれば、数寄者とは少し上品なコレクターといえる。人もうらやむコレクターであったことは間違いなく、実際にその幾つかは重要文化財になっている。 
コレクションが公的機関において認められるのを上限とすれば、数寄者たちの上には政界の元老井上馨(外相、内相、蔵相などを歴任)*1がすでにいて、馨こと世外からのお裾分けも多かった。そして最終的な美術鑑定は東大の黒板勝美教授であった。 
政財官にわたるコレクター連合はその規模において、その内実において、経済力、政治力、影響力において近代最高のグループであったと断言できる。 
すこし下世話な話をする。金額の高い安いではなくて、仕入倍率の興味深い話が、ブローカー役も果たした箒庵の本に登場するので紹介する。 
明治の初期に小堀遠州蔵帳所載の青貝天下泰平香合を道具商が十四円で買い取ったものの、売れずにいた。それから約四十年後の大正五年末の売り立てでは、なんと三万六千円。実に二千六百倍にばけたと記してある。 骨董屋の美談に属する話かもしれないが、いずれにしても、平成の世とは規模が違っていた。 
また明治三十七年、仏画孔雀明王像に当時一万円という記録破りの金額をはたいたのは、原三渓の骨董界へのデビューであったが、躊躇して買い逃した鈍翁は、持ち主であった井上世外からそれ以上の名品十一面観音像を強引にも手に入れようとして、三百五十円の買値と聞いていたので、なんと百倍の三万五千円を提示して、勢いで購入したというエピソードも残している。 
かの益田鈍翁をしても完璧はありえない。おそらく最高の条件にあったコレクターの巨頭をもってしても、古きものの収集作業には困難がつきまとう。 
骨董屋を味方につけても、ライバルが現われるし、骨董屋自身も別の骨董屋に狙いをつけられて、妨害されるかもしれないという悪因縁の縮図は、時代が変わっても変わらないコレクターの宿命なのだ。 問題は「美」の見立てにある。あたかも 「美」は独占されないことを願っているように振る舞っている。 
いよいよ深く僕らは識る必要がある。骨董という「ある象徴された力」について。 
人間という建物、宇宙という建物の建直しを夢想した男がいた。名を出口王仁三郎といい、大正・昭和の行動的宗教家として大魔神の如く振る舞った。 
二度に渡る宗教弾圧の後、彼に残されたものは、教団の破壊につぐ破壊と身内をも含めた支持者たちの崩壊につぐ崩壊、血と悲鳴と発狂の廃墟であった。
釈放された後の約一年の間に、王仁三郎は土をいじり、焼き物を創りだす。空襲で炎上する大阪の空を眺めながらも、恨みや悲哀を一切こめず、逆に千年の未来の青空をそこに込めんとした。
「茶は天国に遊ぶもの」というのが、王仁三郎の見立てである。 
彼の茶碗には、エデンの園、須弥山、天国、神代などの名が付けられた。 茶碗の形は海のようにたおやか。 特徴的な茶碗の色は、青、黄色、ピンクなどが春のように輝いている。 
以下はお茶碗の感想である。
●燿碗(ようわん)(美術評論家)
●ゴッホが造ったお茶碗(哲学者)
●将来、国宝になる(大学教授)
●バンデル星人のお茶碗みたい(映像作家)
●ソフビみたいな色合いだ(玩具マニア)
●いいよね〜あれ(神道研究家)
●子供でも造れないお茶碗(美術家)
●きっと天国に行くと売ってる(広告屋) 
王仁三郎は造るそばから、人にくれてしまっていた。「あんたにいちばんいいのをやろう」とか 「百万円になるわい」とか言葉をそえて。 
誉められたから、分配したのではない。真相は、もっと深いところにあった。 
茶碗とは王仁三郎にとって、ほかの人生など取りようもない凄絶な命のやりとりの後に与えられたもので、素直で優しく穏やかで明るい光のようなものだった。 
「使え、使わな何もならん」といった王仁三郎は、美の世界、コレクターの世界などとっくにご存じであった。 
僕らは僕らの器量に応じてしか、美しいものを理解することができない。ましてコレクションに完全なものなどなく、完全なコレクションなどないと悟ることが、コレクションの道であろう。 
私有しようとしたり、独占しようとしたり、それによって支配しようとしたり、地位を得ようとする、いつの世も変わらずいつの世にもいる心の雛型であるコレクターに、ものとひととの関係を教えようとして、この妖精のような茶碗に最後の教えを残してくれたように僕には思える。 
「『燿碗』といういい方は表面的で好きではありません。」
「僕はこの茶碗を『星碗』と呼んでみたいのです。」 
そう彼にいうと、「あとは中身だけだ」と出口王仁三郎は光を放って笑った気がした。


[注文の多い鑑賞例]
●事物は、おまえがそれに自己を与えるときにこそ、偉大なものとなる。たとえば、石材の光沢とおまえの労働とを交換しようと試みたときに。なぜなら石材の光沢は宗教となりうるからである。(サン・テグジュペリ)
●森と一体となるには、まずドングリからカシの木まで成長しなければならない。(ケン・ウィルバー/万物の歴史)       
●おもちゃは、つまり詩と同じで、エッセンスであり、なんといってもメタファーだ。 (ブラッドベリ)            
●足ることを知るものは幸福なり(聖書)
●今日は、星を作るで。お茶碗の中へ星を作るさかいな。(出口王仁三郎)
●われわれは傑作によって存するごとく、傑作はわれわれによって存する。(岡倉天心/茶の本) 
                     
[註]
(1)鈍翁は、三井グループの代表者。箒庵は三井銀行大阪支店長。三井鉱山理事。三渓は、横浜は原でもつといわれた豪商。
(2)井上を数寄者の系列にいれるには、抵抗がある。司馬遼太郎は「維新前に死ぬべきであったかもしれない」と述べている。彼の地位ともの狂いが、政商鈍翁を骨董仲間にひきづりこんだ。

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