◆◆◆◆◆骨董魔術論◆◆◆◆◆

■ 玩 具 屋 探 偵   ま ぼ ろ し 日 記 (4)

01.《開かずの倉庫》法隆寺の夢殿を開けたのは、岡倉天心だった。開けば雷が落ちると、僧らが恐れて退去する中、天心は行動を開始する。
……開けば則ち千年の欝気紛々鼻を撲ち殆ど堪ゆ可からす、蛛糸を掃ひて漸く見れは前に東山時代と覚しき几案あり。之を除けば直に損造に触るを得べし、像高さ七八尺計。布片経切等を以て幾重となく包まる。人気に驚きてや蛇鼠不意に現はれ、見る者をして愕然たらしむ。頓かて近より其布を去れば白紙あり、先に初年開扉の際雷鳴に驚きて中止したるはこのあたりなるべし。白紙の影に端厳の御像を仰がる。実に一生の最快事なり。…… 
秘仏「夢殿観音」を僧よりも早く、学者よりも書物よりも確かに、時のベールをはがし、世の光にあてた当事者、張本人となった時が、岡倉覚三から僕らの識る岡倉天心と呼ばれる人物になった瞬間である。 
02.天心は開廟する時、印を結ぶ。秘物の入った倉庫を開くとは、実にそういうことだ。 僕が岡倉天心を「最高の骨董屋」と称賛する理由は、ここにある。  
03.結論づけることのできない、どんなに喋っても少ししか伝わることのない、ある微妙な《澱》を、何よりも僕はおもちゃ倉庫の奥に或いは天井に見出してしまった。
04.倉庫には、時の蛇、生活の金糞、混沌の鼠の臭気と光輝がある。
05.岡倉天心にとっての夢殿と僕にとってのおもちゃ倉庫とが、ある時重なって見えた。
06.追っている幻とは、幻のおもちゃ以上の幻だ。
07.「ねぇ、口で伝えられる物語のように移ろい行き、溶けて幻に似た無に近づく物質の将来について語ろうじゃありませんか」と稲垣足穂が綴った文章を、物質という単語をおもちゃに置き換えると、僕の気分だ。
08.千以上の店、千以上の人に会い、おもちゃ倉庫の奥に見つけたこと。おもちゃ倉庫の中で嗅いだ物語。
……それは毎回必ず僕の知識にないおもちゃがあるということ。つまりどう考えても《ありえべからざる物語》が用意されていたこと。バラードの結晶世界の描写よりも、ブラッドベリの火星の空気よりも、およそ本の中にしか生きていないようなどんな幻想よりも、現実のおもちゃ倉庫の中の世界は、発掘者の理解を上回る、はるかに強固な幻想のリアリティそのものだったのだから。 
09.時に隠され守られてきたものは、僕の生れ故郷《浅草》の原産品であったこと。倉庫の中で、おもちゃの詰まった木箱の送り主をみて、浅草こそがおもちゃの第一原因、創造主であることに気づいた瞬間のいいようもない悦び。時のマジックへの驚き、感謝。僕の生い立ちにも感謝。運命的なリターン。僕はついに浅草という故郷を二つ(生れ故郷と仕事上の故郷)も持ったのだ。
10.平成七年くらいまでが、僕のハンティングの最大活動期だった。ハンティングの方向を転換した最大の理由は「鑑定団」の登場であって、この勢力と戦うために、僕は方針を「ものから人」のハンティングに切り替えた。ものだけ残っても、しょうがない。思いを残したかった。そのためには、人と会い、取材し、文献を探り、「おもちゃの匂いに満ちた本」をつくることが、僕に課せられた義務だった。そうして書き上げたのがサブタイトルに「浅草の玩具の魂」とつけた『ガンタマ』である。
11.ブリキのおもちゃの博物館の北原さんを顕教とするなら、空想はいわずと知れた密教である。あの岡倉天心はまた密教家でもあった。法号を「雪信」と称する。わが見立ての師である。
12.ハンティングは苦行であった。浄化されるために、通らなければならない生活テストであった。僕が合格したかどうかは不明だ。
13.大文豪バルザックの『人間喜劇』の天上編にあたる神秘劇「セラフィタ」にこんな言葉がある。モダン・ホラーの巨匠スティーブン・キングの「IT」の終わり方もたしか同じような感じだった。ハンティングから帰った翌日の僕のブルーな気分だ。
……自分の見たことは果たして本当に見たのかどうか、語られた言葉は本当に聞いたのかどうか、その事実は本当に事実であったのかどうか、その観念は本当に観念であったのかどうか、一しきり怪しむと、人間はいつもの生活をとりもどし、仕事のことを考え、 「死」に従う下僕のような「忘却」のいいなりになるのである。
14.北国へ行ったときの話。橋の手前から一方通行の道があるのに、勘づいた。「県道や国道に並行して続く旧商店街あり」の鉄則どおりだ。車一台がやっとの狭い商店街が、隠れるようにあった。当然、古いおもちゃ屋さんもあった。車をとめるのに苦労する。なにしろ狭い商店街だ。木彫りの看板、そして木の戸だった。おもちゃ屋さんは、旦那さんの墓参りにでかけていて留守だった。時間をつぶして、夕方また出直すと、おばちゃんが店を開けて待っていてくれた。入り口脇のショーケースにジャングル大帝の壁紙が貼ってあった。店の中は空きの目立つ木のケースと中途半端に古いプラモデルの箱の山が目についた。その他は、たとえ新品でも東京ではバッタ品として出回っている流行遅れの品物がほとんどだった。スーパーだったら即返品のものを、問屋の営業が置いていったのだ。南無三! 
戦後繁盛した店の五十年後の様相だった。
15.経営者が高齢化している。後継ぎがいない。採算ベースがあわない。おもちゃ屋の問題はそれだけではなかった。全体が陥没していた。 大型店の進出。加えてトイザラスの日本全国展開。流通構造の変革。つまり今まで仕入れてきた問屋ルートよりも、大型トイ・ショップやディスカウント・ショップの方が安いというかなり決定的な事件があたりまえになった。 
街のおもちゃ屋さんよりも、ハンバーガー・ショップ付きで、サッカーボールもあり、紙おむつもあり、ついでにビデオ屋や本屋まであるという、複合的な形態のエリア・ショップの方を消費者は選んだ。おもちゃを買う時には、車に乗ってのお買い物で、定価の二割三割引きが常識で、しかも天井までうず高く積まれているような品数が豊富で清潔な店での買物を、一部のマニアを除くほとんどの父母が平成の五年頃には選ぶようになった。
16.今思えば僕のおもちゃハンティングはトイザラスの上陸寸前に始まり、トイザラスの全国展開のスピードと「何でも鑑定団」による、おもちゃ屋さんの人生、伝統、プライドといったものに対する外側と内側からの二重の侵略、荒廃と覇を競うように決行されていたのだった。
17.そして今思えばそのおもちゃ屋さんの姿は、おもちゃ屋さんだけでなく、本屋さんがコンビニエンス・ストアに客をとられて閉店に追い込まれる姿であったし、カメラ屋さんがマルチメディアの時代に立ち後れやめていく姿だったし、洋服屋さんも魚屋さんも八百屋さんも郊外型の大型ディスカウント・ストアの嵐に飲み込まれ、ついには商店街全体が消えかかるという前触れで、僕の目撃した街だけでなく、日本中から戦後繁栄した小売店がなっていく兆しであったのだ。その中に僕はいた……。僕のハンティングは位置した。
18.その北国のおばちゃんの店では、売れ残りのポピーの超合金をまとめて買った。ゲーム類がまだ残っていたが、それは車に積みきれないからという理由でお断わりした。お金も払って、帰ろうかという段になって、おばちゃんからいわれた。 
「旦那さん、夕飯まだなら、食べていかないかね。」 
出されたものは、僕の苦手な赤飯であったけれど、それはとてもおいしい真っ赤な夕陽のようなお赤飯であった。

[愛すべきおもちゃ探しの教訓]
●魚がいいからいい寿司ができるとみんな勘違いしている。(寿司名人)
●最後の暗い陶酔を飲みほすがいい。そして別れを、去りゆくアレキサンドリアに別れを告げるがいい。(ロレンス・ダレル/アレキサンドリア四重奏)
●十年ヲ過ギズシテ茶ノ本道スタルベシ。スタル時、世間ニワ却ッテ茶湯繁盛ト思ベキ也。……浅マシキ成レノ果テ、今見ルガ如シ。悲シイ哉。(利休)
●此程を花に礼いふ別れ哉(芭蕉)

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