◆◆◆◆◆骨董魔術論◆◆◆◆◆


■盆栽ラジオの生活

鴬谷は不思議な場所だ。坂を上がればすぐ岡倉天心*1ゆかりの芸大があり、ここには田中智学*2ゆかりの「国柱会」がある。その関係でその帰りに、どうもその男はやってきたらしい。空想まで歩いて十分だ。 
巧くは説明つかないことではあるけれど、桃色の雲に乗って、宮沢賢治が骨董屋という森の中へ入ってきた。 
わが空想雑貨の商品でいちばんの年代物は、なんと石である。 
アメリカから輸入した六十種類の石の標本と山梨県の土産品の石の標本だ。日本製の鉱物標本は、標準的な本の大きさで、名前と学年を記入する欄がある。昭和三十年代生まれの人なら一度は見かけたものだ。石の解説は箱の裏側にがり版印刷されている。 
手書きのかすれ具合と箱の黄ばんだ紙質と、紙の部屋におさまった石たちのバランスが、とても誠実そうに並んでいて、微笑ましい。 
宮沢賢治も石好きであるが、こんな観察もとてもいい。石はもっと感じるべきだ。石の声にもっと耳を傾けたらいい。
●楽しい石●寂しい石●あったかくなる石●おちつく石●手に取りたくなる石●ただ見ていたくなる石 
石はもともと神社そのものを表わしていた。磐境、磐座ともいう。ヨーロッパにおいてはストーンサークルとかストーンヘンジとか呼ばれる巨石群が、やはりよく似た構造だ。 
目のまえにありながら、手の届かない天然世界の意味と示しを意志するものとして、石は自然の中でも第一級の骨董品として、誰にも解りやすい聖なるものとして、大切に伝えられ残されてきた。 石は思いの外、生活にとけこんでいる。 
僕の子供の頃は、家の脇の備え付けのコンクリート製のごみ箱の側で、落葉を拾い集めてごみを焼き、ついでにイモを焚火の中へ入れ焼いたりした。今でも車でやってくる「石焼きイモ」が通るたびに、つい思い出してしまう。 
石蹴りはとうにサッカーボールを蹴ることに変わってしまったが、小石があって池や川があれば、たぶん石を水面に投げて何段水面をきったかを競う「水切り遊び」を今でもしてしまうだろう。 
僕が骨董玩具屋なのに、玩具以外に石を置いているのは、たぶんこのような石のどっしりとした安心感、不純物のない古さに期待しているからだろう。 
僕は元来不器用なくせに、大工さんになりたがっていたように、いつのまにか自分流に作ってしまうことが得意だったようだ。だから、子供の時から持っているものとしては、完全無欠のおもちゃではなくて、難しくて作れなかったタミヤの戦車プラモデル(シングルバージョン)の残骸のギャボックス部分と、学研の「六年の科学」の付録のプラスチックケースに入った石の幾つか足りなくなった鉱物標本なのである。 
たぶんプラモデルを買ってきた途端に、箱から出して設計図など見ずに一目散に作り上げようとして、セメダインはベトベトになるわ、すぐ使いきるわ、おまけに途中でパーツは余って、形にはならなくなるは、さらに再チャレンジしてへんな格好のしろものになるという典型的な勝手読み模型少年だったようだ。それが今だに続いている。 
完成そのものよりも完成させようとすることが好きだった。結果よりも経過派だった。 
僕の周りには鉱物派が多い。 
久しぶりに友達に会いたくなったら、新宿副都心あたりで毎年ひらかれる鉱物フェアへ行けばいい。必ず誰かが来ていて、買った後ならニコニコしているから。 
僕らはなぜ骨董に惹かれるのだろうか。 
僕らはなぜ鉱物に惹かれるのだろうか。 
その答えは、たぶん「生活」という得体の知れないものの性格に関係しているのだ。生活は一筋縄ではいかない。 
僕らは二十代の頃たいがい「夢」があった。いい暮らしをしたいとか、有名になってやるとか、かわいい恋人が欲しいとか、人には話さなくともなんらかの「夢」があった。 
三十を境にして、「夢」はしぼんでいく。結婚、出産、転職、或いは両親の老衰化、死別などという、人生上の出来事が自分のみならず自分の周辺に次々に起こりやすくなり、結局人生はどんなにあがいたところで自分一人ではどうにもならないことを、痛いほど思い知らされるからだ。 
「三十を過ぎた人間は信用するな」と団塊の世代、ロックの最初の世代は発言した。
僕らは三十を過ぎると二つの人間ができるのを知っている。「夢を語る人間」と「夢」と聞いただけで悪い記憶を思い出したように横を向く人間と。だから少し注釈をいれるべきだろう。「三十を過ぎて夢を語れない人間は信用するな」と。
僕らは死ぬまで、「生活」に追い掛け回される。どんな政治体制、どんな裕福な資産家階級にあっても、それは程度の差こそあれかわらない。 社会主義ソ連が崩壊し、かといって資本主義が勝利したともいえない現在、僕らは人間の思想がある意味で「経済優先」、つまり 「幸福な生活」を先送りするだけでどうしようもできなかったというかなり決定的な事実を目撃して唖然とした。 
「生活」を免罪符にして、あらんかぎりの愚行を繰り返してきた。現実的と思われる一方的な現実を鼓舞奨励し、僕らの時代の宗教の地位に登りつめた科学は、ものを支配し独占しようとする卑しさを権威の下に隠し、ものと心を分離させ、ものを経済数値だけで測ることを黙認しているように思われる。 
簡単で便利だからだ。だから古いおもちゃも感情を入れず「はい、売ります。買います。」式のほうが、幅を利かせているのも同根の近代病なのである。 
骨董は、漢方薬なのだろう。石はむろん薬草である。
時間を遡るという点、ものとまじめに向き合うという点において。そしてなによりも生活に彩りをそえるための技術であることが、創造的で前進的であり喜ばしい。
些細なものに偉大を認め、普段が特別の日であることを促し、足元の生活に鉱物の景色、玩具の春風、思い起した茶道の香りを取り混ぜて、もっともっと愉快に遊ぼうではないか。地上という寒い季節、もっと暖まろうではないか。 
僕は宮沢賢治にとっておきの一品を差し出した。
それは生活以上のものであった。
それは三つのシュールレアリズムであった。
天上と地上と現在を意味するパーツで成り立っていた。
それは盆栽と水晶とイヤホンで成り立っていた。
誰も見たことのない鉱石ラジオ*3だった。
「ねえ、君には聞こえるだろ。よかったら教えてくれないか、君にどんな音が聞こえるか、僕は知りたいんだ……。」  


[注文の多い鑑賞例]
●書くことに酔っていないといけない。それでもって現実に滅ぼされずにすむ。(ブラッドベリ)
●時間外への遠足(エリアーデ)
●数千年の歴史を通じて我々が得た教訓は自然災害より、人間のもたらす災害がより大きかったということだ。(亡命者)
●まぁ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。(岡倉天心)

[註]
(1)岡倉天心は世間一般には、明治時代の美術界の指導者として知られている。東京美術学校校長。日本美術院を創立。名著「茶の本」は英文で書かれた。謎多き人物。1863年生まれ、1913年没。
(2)日蓮学徒、激烈な宗教改革者。文学者宮沢賢治の師匠筋にあたる。「最終戦争論」の石原莞爾も門下生であった。1861年生まれ、1939年没。
(3)正式名「盆栽式鉱石受信機」。W80×W80×H150(mm)。「盆栽ラジオ」は、本書の装釘家でもある小林健二氏の作品、すなわち世界初の発明品である。詳しくは 『ぼくらの鉱石ラジオ』(小林健二著/筑摩書房)をご覧いただきたい。
(※現時点では装丁は未定である)




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