◆◆◆◆◆骨董魔術論◆◆◆◆◆


■玩 具 屋 探 偵 ま ぼ ろ し 日 記  (1)

「幻」を追っている。
「幻」を捕まえることが、僕の仕事だ。
世間からは、懐かしおもちゃ屋とよばれる。
派手ではないが、ハードだ。
誤解も多い。
ただ、昔のものを売るだけではない。
想い出というリボンをかけるのだ。
百商品があれば百の物語が派生する……。 
おもちゃを探しにいくことを俗に「ハンティング」という。おもちゃハンティングはしかし、壮絶である。昭和三十年四十年代のおもちゃを、平成の時代になって発掘するのだから。ある意味では、喜劇のようなところもある。ある意味では、まったく別のところもある。 
わりと最近になって、僕の見てきたことが何だったのかが、やっと判った気がする。 
だから僕にはもうハンティングにいくことは、できないかも知れない。もう記憶の中でしか語れないかも知れない。もう永久に。 
だからこれは僕の思い出話だ。同じルートをたどっても、きっともう会うことはできないだろう だいたい話になるような劇的なハンティングは数少ない。面白い話がそう落ちているわけでもない。だいたいが話にならない話だ。それでも、やっぱりという話もあるが。
出掛ける前は、緊張する。あれやこれや考えて、眠りが浅い。まるでオートバイツーリングにでる朝のようだ。店をやっているので、店を留守にする段取りに手間がかかる。店を閉めればその間は売り上げがないから。
だから普通は、絶対確実の情報でなければ動かないのだ。危険でコストがかかる。懐に最低五十万くらいはなければ、ハンティングにはいけないものだ。 
一週間地方遠征をするとして、宿泊代がばかにならない。まずそれだけで七万円。チェーン展開している普通のビジネスホテルでいい。 
安すぎると、カラオケの声が聞こえたり、部屋が陰気くさくて元気にさしつかえる。洗濯を頼めないところもどうかと思う。
駐車場が入れにくいところも嫌だ。駐車場でホテルを選ぶわけにもいかないが。 
車の中に地図を忘れてきた時、タワー式の駐車場だと、時間によっては荷物をとりだせないこともある。だいたいチェックインする時は、疲れきっているので、メモや地図や電話帳のうつしをまるごと放りこんだかばんを、車に残してきてしまう率が高い。ほこりで汚れた服や下着の入ったかばんは持ってきているのに。明日の作戦をたてようとする時になって、失敗に気づく。
交通費はこれはしょうがない。
高速道路でなければ、いけないところもあるし。 
もちろん車でいくのが多いのは、荷物があった場合積み込めるし、最悪車で寝泊りできるからだ。オートバイではこうはいかない。路地裏を探すのには便利だけれども。
そしてあれこれ迷った末に九州へいくことにした。三月末、春にはちょっぴり早い。
九州や北海道のように遠い場合、ターゲットが決まっていれば、飛行機でいく。その方が早いし、疲れない。ただしそこからの足に困る。
レンタカーを借りたらといわれるが、レンタカーは借りた場所へ戻さないといけない。しかもたいがい六時くらいまでに。僕の経験では、自分の車と違うとなんか乗りづらい。返す時間が気になって、おもちゃ屋へ夕方とびこめない。腰が入ってくどけないから。 飛行機を使わずに走っていく場合でも、一日で着くのは、疲れが残る。その後も、行脚しなければならないから。いくだけで、燃えつきるわけにはいかないのだ。
結局悩んだ末に、フェリーで南へ遠征する。おおごとである。
フェリーはだけど、かったるい。川崎を夜の六時にでて、まる一日かかる。しかも日向(宮崎)に着く時間が、まずい。夜の七時なのだ。いざ九州上陸、なのに外は暗い。店もやってない。寝床を探すだけ。そして何もしないうちに二日が過ぎてしまう。 
このハンティングは、いつも同様、あてのない「とびこみ営業」の旅だった。一週間を予定していた。
大分県や宮崎県でなんとかしたいと、脳天気に願った。収穫ゼロだったら福岡経由で帰ろうと思って。スイッチONにして車を発進させれば、くよくよ振返れない。 
まずは、線路沿いにあるてきやの親父さんのところへいった。礼儀こそがすべてである。情報を仕込んだ。この親父さんのところは、健全経営なので、不良在庫はなかった。 
ルート10号を昇ったり下ったり、右往左往しながら、さらに二日がとおり過ぎた。ビューン。 赤信号で止まって、ふと右側を見たらおもちゃ屋にジャンボマシンダーが飾ってあったので、あわててUターンしたこともあった。元宇宙飛行士ジャミラも並んでいた。この人騒がせな店は、昔の品物に関しては息子の持ち物だということで、売ってもらえなかった。いったい何人のマニアが信号でブレーキを踏んだことだろう。そのうえコンディションのひどさに幻滅するのだ。
駅の脇で土産品とおもちゃを兼ねていた店を聞き込んだ。小さな店だったがしばらく前にやめて、シャッターをしめたまま。店の人と連絡をとろうと思い、付近で聞き込みを開始。さっそく自宅までおしかけるが、今はいじれないので工事をする時に連絡をくれる約束をとりつけた。この段階ではここまで。その後音沙汰なし。
春寸前の海が、カーブにさしかかるたびに、見えた。こちらの思惑を見透かしたような青い穏やかな海、が広がる。こちらはスカタンなので、だんだん焦ってきた。
繁栄期を過ぎて、退潮期にさしかかっている街の寂しい姿。ただ通過するしかない村の声にならない声。僕はハンドルの向こうに幾つも目撃した。 
これだと思った山の中の雑貨屋は、借金取りに追われていて、連絡がつかなかった……。
午後六時の人気のない商店街を、現実に歩いた。太陽の光ではなくて、月光の細くさす真夜中のような商店街を。閉まったシャッター、破れたテント、かすれた店名は定番である。たばことドリンク類の自動販売機の濃い影だけがおよそ現在を示しているだけにすぎない。 
外から眺めてもスクリーンの音の聞こえそうもない映画館。木造家屋と緑色のペンキの匂いのする極端に狭い露地。店の人の姿のない文房具屋さん。ゆっくりみたかったとこは、あいかわらずいっぱいあった。先を急いでいたり、やはりその日のノルマが達成できていない日は、予備候補地にはよれない。
それでも、空気を味わうこともままある。 
上陸三日目になって、半島の小さな街はずれのおもちゃ屋と種屋さんを兼ねた店でやっと一息入れた。裏露地にある倉庫は木造でかんぬきがかかっていた。倉庫の内部には、電気がないので、入り口の明るいところへいって、確認しながらだった。やたらカード類が多かった。ダンボールの箱を底まで全部ひっくり返して点検する。そして元通りにする。その繰り返し。中二階は農機具だった。棚の上から埃と一緒にお面がおっこちてきた。エイトマンや丹下左膳の束だった。ジャイアントロボの駄菓子屋売りのミニプラモも台紙つきの束が、何束もでてきた。紙物の束がメインだった。そしてまた紙物かと思って、ダンボールの蓋をあけたら、売れ残り品を全部あたりくじにした台紙に、ミニサイズの仮面ライダーの悪役怪人の珍しいところが袋にはいって、いくつもぶら下がってくっついていた。
入り口は紙物の台紙の山が地滑りをおこす寸前の有様で、出るのに一汗かいた。学校帰りの小学生が不思議そうな顔をして、仕分作業をしている僕を眺めていた。
とても読めそうもない名前の城下町「杵築」は、表通りも裏道も坂道も石畳に時間が吸い込まれていくようだった。時間の外側の散歩を満喫させてもらった。
さらにまぼろしに近いおもちゃ屋を求めて、コルゲンコーワの店頭用ディスプレーの「おまえへそないじゃないか」のかえるに後ろ髪ひかれつつも、僕は温泉地「別府」から、由布院、阿蘇をめざした。
車はどんどん高いところを上る。しばらく走って峠の駐車場で休憩しようと思ったら、なんということだろう。
春だというのに、空からアトムが降りてくる替りに、雪が降ってきて、たちまち木々をクリスマスツリーに変えていった。


[愛すべきおもちゃ探しの教訓]
●判っちゃいるけど行くのが男の子
●当てるより当たってみたい時の山
●おばちゃん元気でいてね更地でも
●店なくてなんの高値かもの悲し
●店なくておばちゃんなくて玩具なし


◆◆◆◆◆骨董魔術論◆◆◆◆◆◆NEXT!

◆◆◆◆◆骨董魔術論◆◆◆◆◆目次へ

●空想雑貨トップへもどる