◆◆◆◆◆骨董魔術論◆◆◆◆◆

■金太郎とアトム

・・・前略金田正太郎様・・・
「発見」がなければ、人生は知らないうちに終わってしまうドラマのようなものだと思います。僕らは通行人のちょい役でそれで終わりです。 
鉄人28号は今でも動きますか? 敷島博士は元気でしようか? 
僕はアトムよりもだんぜん鉄人派でした。明治製菓のマーブルチョコレートに入ってる鉄腕アトムのシールを集めたことはありますが、でもグリコの鉄人ワッペンを洋服の胸につけていました。 
優等生のアトムよりも、フランケンシュタインのロボットのような鉄人のほうが、やはり好きでした。 
ファーストコンタクトは光文社の単行本でした。ロケットのテストを繰り返し、空を飛んでも雷でまっさかさまに落ちてしまう鉄人でした。 
てごわい相手だった、奇巌城を根城にした空飛ぶ赤エイは、今でもときおり夢にでてきます。ヒートアイランド現象に包まれた夏の東京の高層ビルのすぐ上のあたりには、巨大な赤エイが群れを成し、まだいるような錯覚がします。 
大塚署長はまだ健在でしょうか?
「発明」そして「発見」は大事ですよね。これがなければ物語は進みませんから。相手のギャング団が開発したロケットを、鉄人にとりつけるという着想は、マブチの水中モーターを石けん箱の下につけて銭湯で遊ぶようなことで、新鮮な組合せでした。 
僕は鉄人といえば、プラモデルしか知らなかったのですが、縁あって、鉄人の元気だった時代のおもちゃ全般を扱う商売人となりました。商売柄、子供時代には見たことのない電池で歩くブリキの立派なおもちゃや、異様な迫力の鉄人のマスクなど、信じられないくらいの種類の記念品が作られているのを知りました。 
そして正太郎くん、あなたのライバル鉄腕アトムのおもちゃを調べていくうちに、とても不思議なことを発見しました。 
おもちゃの新技術のひとつに「マスクとれ人形」というものがあります。正義のヒーローがマスクをとると主人公の顔になるというものです。亀のマークの中島製作所が「タイガーマスク」の時に開発したプロレスラーのタイガーマスクが覆面を脱ぐと伊達直人の顔が下からでてくるという原案どおりのものです。ふつうソフトビニールで仮面を造る場合、厚すぎると脱げず、薄すすぎると切れてしまうため、よく見ると工夫の跡の小さな穴が切れ目の最後にあります。 
評判をうんだため、「マスクとれ人形」はウルトラマンや兄弟たち、仮面ライダーなどのテレビヒーロー人形の一ジャンルとなりました。 
買ったことのある人ならすぐ気づくのですが、マスクの下の顔は、セブンでもライダーでもみんな共通の顔なのです。 
そして正太郎くん、この正義の使者たちのルーツが、浅草玩具製の飛行タイプのアトム(当時価格200円/天井からつるしゼンマイでプロペラがまわり空を駆け巡る/胴体はブリキ。頭はソフトビニール)にあると、問屋筋では一致しています。ヒーローの顔を造ると、アトムの顔をなぞってしまうというわけです。いかにも健康優良児ですからね。少年ヒーローの顔がみんなそっくりというのは、面白いですね。
そういえば、怪獣ソフトビニール人形のおもちゃたちも、本当のところは痩せているのやら、足が長いのやらプロポーションはいろいろあるのに、おもちゃになるとだいたい 「ぽっちゃり」しているでしょう。
これは世界で最初に怪獣人形を作ったため、怪獣の恐さにどのくらいポイントをおくか悩んだ末に、やはり子供さんに親しんで遊んでもらおうと思いなおして、工夫をこらした結果でした。だから、マヨネーズの会社のマークでも知られる「キューピー」の体型を参考にしたといえば、納得がいくでしょう。両手だって開いているでしょう。怪獣もよく見れば、開いている奴が多いですよ。
それからこれもある原型師さん*1から聞いた話ですが、怪獣人形を作るときには、お相撲さんをイメージして作るそうです。
アトムもキューピーもお相撲さんも、おもちゃの表現の世界ではなにかしら繋がってくるのです。
正太郎くん、ここから話は少しとびます。 
足柄山の金太郎は覚えていますか?
マサカリ(木を伐る斧)をかついで熊と相撲をとり、成人したのち坂田金時と名乗り、大江山の鬼退治に参加したあの金太郎を。
天真爛漫で筋骨隆々で、文句のつけようがありませんよね。ここから子供の大敵、天然痘、麻疹などの疫病神退散また出世を願う誕生祝いの贈りものの役目を果たしていったのも、当然です。江戸時代には、人形はもとより鯉のぼりや凧にもなったし。
金太郎は実は「金属太郎」の意味で、太郎は「タタラ」(古代の製鉄法)に由来するともいいます。
母親が山姥であったり、出産に雷が絡んでいたことは、大勢の指摘のあるように、製鉄・産鉄集団の神話が、この伝説の母体でしょう。鉄のマサカリはその証拠品でしょう。
一方退治される鬼たちの住んでいた大江山に、僕はオートバイツーリングででかけたことがあります。
山麓には伊勢神宮の元ともいわれる元伊勢皇大神宮があります。
鬼もまた歴史のアンチヒーローの代表で、平地の民ではなく山族であり、深山幽谷の地を宇宙に見立てた修験者たち、その幻想的表現である天狗、奥山の鉱脈探しにあけくれた鉱山師たちの系譜に属しています。
栄華を誇った黄昏の民の末裔で、政治権力闘争の敗者、仏教推進派との宗教闘争の敗者とも言い換えることもできそうです。
「鬼神に横道なきものを」という酒呑童子の断末魔の一言は、現実の酷い一面を示して今だに健在です。
さて、正太郎くん。長々しゃべってきたのも、ここからが本番だ。後は君の正義が判断してほしい。証拠はなにもないけれど、たぶん正解だと僕の中の少年は叫んでいるのだから。
僕らが怪獣好みなのは、ウルトラマンよりも大地にもんどりうって倒れる怪獣に、きっと可能性を感じるからなのだよ。
時代の都合でかわる正義よりも、散りぎわの無様さかげんに意地の永遠を見いだし、心の中で拍手をしているのだ。
ウルトラマンのデザイナーと呼ばれることに抵抗しているように僕には感じられる成田亨さんも、心中は画一的なパワーゲームを繰り広げたくなかっただけなのに違いない。「正義の保安官」はいつだって《強きを挫き弱きを助ける》ものなのだ。人間優先主義ではないのだ。
その後のウルトラシリーズでは、ウルトラマンがどんどんパワーアップしていく。本来のマインドが俗化してだんだん衰退化しているにもかかわらず……。
ウルトラマンが企画段階で「レッドマン」という仮称であったのも、象徴的だ。この場合の「赤」は、社会主義の「赤」ではなくて、神社の鳥居の「赤」だ。鬼全般の形容詞の「赤」だろう。
現代彫刻家の成田さんが大江山に「鬼のMONUMENT」を建立したのも、ウルトラが現代化け物退治譚ではないことの逆の証明だと思うよ。
ウルトラマンのデザイナーは「鬼的なもの」をウルトラマンに封じ込めようとした気がする。
もう気がついてると思うけど、おもちゃの身体表現の原型は、金太郎にあるんだ。神話的世界がおもちゃには息づいている。すべてのヒーローの原型は、「気は優しくて、力持ち」の金太郎にいきつく。
鬼を捨てた鬼が、鬼にこだわる鬼を退治するという無惨な歴史を底に秘めた「大江山の鬼退治伝説」*2は、千年の後にとうとう金太郎とアトムを結びつけ、怪獣の身体表現となって結実した。
それまでのおもちゃ表現は、身体が服に隠れていたため顔に注意が集中していたのに、怪獣の出現により身体全体の表現が必要となったのは、ますます神話的な遺伝子にとって好都合な出来事だった。
江戸時代の金太郎の玩具に「鯉金」と「熊金」がある。鯉金はそのとおり鯉にまたがる金太郎だし、熊金は熊を組み伏せた金太郎で、金太郎と熊が一体化して見える。
その姿がマルサン製のミニラとだぶるのは、職人の目線の低さ(純朴さ)もさることながら、希望や暖かさという数値以上のものがある微妙な曲率(丸みやデォルメ)を帯びるからだろう。
それは時空をこえて技術をこえて存在する精神の基本形であると、野暮を承知で名づけるよりない無意識的な共通のよく似たフォルムだ。当然ながらヨーロッパが陥った対称性の呪縛からは解放されている。
そしてどちらも流れる血がそうさせたのか、遠い血縁関係を意識したのか、金太郎は「赤もの」、初期生産ミニラは「赤ミニラ」と呼ばれ、やはり神社の鳥居のように赤い。
寒い冬の朝にも咲く梅のような金太郎は。
[注文の多い鑑賞例]
●かつてわれわれの精神が見たもの(プラトン)
●地球の希望は新しい哲学の発達にではなく、新しい人間の発達にかかっている。そのためには、個人の内部での適切な内的葛藤が不可欠である。私にとっての秘教とは、そうした内的葛藤、内的探求への誘いなのである。(J・ニードルマン/宇宙感覚)
●人間が天に向かって行くのか、天から帰って来るのか、創造が精神に向かって登るのか、物質に向かって降りるのか。(バルザック/セラフィタ)
[註]
(1)原型師とは、文字通り玩具のもとのかたちをつくる職人のこと。原型を作ってから、生産にはいる。職人仕事の平凡さの中の非凡さに気づかない自称プロが多すぎる。
(2)大江山を根城にする酒呑童子を源頼光とその四天王が退治したと伝えられる。四天王の一人、坂田金時は幼名を金太郎といった。


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