◆◆◆◆◆骨董魔術論◆◆◆◆◆

■ セ ル ロ イ ド の 虐 殺 
セルロイドは虐殺された気がしてならない。 
僕の二冊目のおもちゃの本「怪獣玩具の冒険」ができた時の挨拶まわりで、蔵前の玩具組合に顔を出した帰りに「キントト文庫」をひやかし、初めて「セルロイド組合」に行った。
現在では「日本プラスチック玩具工業協同組合」という名称に変わっているその分厚いコンクリートのビルディングは、浅草橋から来ると、玩具組合と大通りをはさんでほぼ左右対称の位置にあった。
すぐ近所には、玩具の名門「アルプス」*1がある。ここの商品で思い出すのは、まだ坂本さんのパニポートが湯島天神の前の坂道にあった80年頃、天井下の四方のスペースにブリキのロボットたち数百体がおもちゃ会社の応接室のように行儀よく勢揃いをしていて、その中に歩きだすと胸から鉛筆が飛び出したような不恰好な奴がいた。それが電動ミサイルロボットだった。頭にアンテナを差し込むと、目が光り、音がして、胸の扉が開き、まるでバナナの房のようなミサイルが現われる。長めのミサイルがとても印象的なロボットだ。
でもこの名門も、悲しいことに新聞によればどうやら……。
ちょうど組合では、セルロイド玩具の歴史を編集したビデオが完成したばかりだった。
前におもちゃ探しで行った栃木県のあるおもちゃ屋さんが、「セルロイド人形を捨てるとご近所にみっともないので、わざわざつぶしてから捨てた」といっていたのを、思い出した。
てんとうむしの愛称で知られた国民大衆車スバル360の故郷の群馬県の町でセルロイドが出てきた時は、髪にリボンを結んだ小さな愛らしい少女ダンサーたちの一人の娘の片足は、鼠にかじられ穴があいていた。
僕にとってセルロイドといえば、小学生時分に使ったセルロイドの筆箱の記憶しかない。蓋が合わせづらかったことを、うっすら記憶するのみだ。
縁日のお面や文房具の下敷きを思い返す程度で、男の子おもちゃとはまったく関係がないイメージがあった。
セルロイド趣味が一瞬入りにくいのは、おままごと遊びを連想させるからだろうか。
これよりは、戦前の玩具本のバイブル雄山閣版「玩具叢書」*2、ビデオ「セルロイド・おもちゃ今昔」、玩具問屋の長老たちから聞いた話を僕なりに整理して、推理してみたセルロイド授業録のようなものだ。
青い目をしたセルロイドのお人形さんたちは、悲しさに呪縛されたままなのだから、うんとひいき目に見てもらわないと。身に憶えのない罪を着せられ、今ではすっかり絶えてしまったのだから。僕の言葉の拙さ加減をセルにあたらないように願いたい。
職人の話から入ろう。僕は職人話がめっぽう好きだ。アーチストよりも職人が好きだ。評論家よりも職人の意見を大事にしたい。職人的気質のない大会社や職人をリストラする会社は嫌いだ。
だから明治時代に美術学校を拓いた岡倉天心が、いわば零落した江戸の職人たち、狩野派の絵師や仏師、漆細工師などを礼を尽くして教授陣に招いたというそのことだけでも、惚れなおしてしまうのだ。
セルロイドの職人たちの朝は早い。職人の一日で、僕がとても好きなところ。
■熱した金型を冷やすためにかけた水をドラム缶に貯めておいて、一仕事終わった後で、いい湯加減になったドラム缶風呂にはいって汗をながしたという、仕事と生活が無邪気につながっていた点
■石鹸水のあぶくで型をあわせるタイミングの適性温度をはかるその単純だけど深い極意
■セルロイド玩具の彩色屋が、描くというよりも引きずるというような感じで仕上げる颯爽さ……この手捌きに僕は、おこしづくりの名人だった祖父の、おこしの熱いうちに切れ目をいれる手際のよい包丁さばきを突如思い出してしまった。職人は手元が軽やかでなければいけない。
セルロイドの歴史の始まりは、意外な朝からだった。
■明治元年JWハイアット氏によって発明されたセルロイドは、もともとビリヤードの玉を作ろうとした結果だった。
■明治10年神戸港に入った赤い6センチ四方の板が、日本最初のセルロイドだった。
■次に横浜で輸入したのは、意外にも鉄砲業者だった。
■日本の初期のセルロイド玩具は、まだセルロイドという言い方はされていなかった。
■大阪ではゴム珠、東京では吾妻珠と呼ばれる球状のものだった。
■職人はこの珠をなんと珊瑚加工の要領で磨いて艶をだし、仕上げた。
■三井物産が外国の評判をききつけて、本格的に輸入が開始され、櫛などもやっとセルで加工できるになる。一枚百円。
■セルロイド工場の爆発が相次いだ。
……今回調べていて一番驚いたのは、セルロイドの可燃性は知っていたが、セルそのものを作るのがいかに危なかったかということだ。原材料は爆薬と同じなのだそうだ。セルの生産に情熱を傾けた人たちは、その情熱とともに爆発火災に遭うなどして、成功者は三輪善兵衛氏ただ一人という有様だった。
■セルロイド玩具の最初は永峰清次郎氏による「吹き上げ玉」である。
■明治27年頃、永峰氏は美津濃運動具店の注文により、ピンポン玉を作った。
こうしてセルロイド玩具は発展していくのだが、皮肉なことがあった。大正三年、第一次世界大戦勃発がセルを躍進させるのだ。つまり諸外国のセルロイド業界が火薬と弾薬の生産に励んでいる間に。平和に見えるおもちゃも、戦争をどこかで呼んでしまうものらしい。昭和25年に起こった朝鮮戦争もブリキ玩具を大発展させた。戦争景気とおもちゃは切っても切れない関係にある。
セルロイドの黄昏は、昭和7年の日本橋白木屋デパートの火事からすでに始まっていた。
玩具売場から出火したことが、セルの可燃性を認識させてしまったからだ。
そして昭和29年、第一作のゴジラ映画上映の年、伊勢丹デパートの広告がセルロイド玩具に永久追放を宣言する。
・・・セルロイド玩具は全部不燃焼性の物と取りかえました。安心してお求めください
翌年日本中のすべてのデパートでセルロイドの販売が停止される。
僕はセルロイドを擁護するものとして、次のことを強調しておきたい。
昭和28年日本の玩具輸出総額は前年比49%増の83億円。アメリカ国内のチェーンストアで売られる金属玩具の60%が日本製といわれるほどの進出ぶりだった。
「ワシントン18日発ロイター 
米国の貿易専門家は18日
『巧妙で珍しい日本のオモチャが米国民の夢をとらえ、米全土を通じて日本製品に対するクリスマス取引の前景気は好調である』
と語った。
ワシントンの商店街の調査でもこの予想を裏書きし
『日本のオモチャは安いので、たくさんの米製品をタナざらしにさせている』
といっている。
一方、米商務省当局者も
「本年一月から六月までのオモチャの輸入は合計四百万ドルにのぼっている』
と述べている」
(昭和29年11月26日付読売新聞) 
そして十二月。こういう結末が待っていたのだ。 
発表はニューヨーク市消防庁官である。
「日本製クリスマス用セルロイド玩具は極めて燃え易く危険だから買わないように。」 
この結果を受けたのが前述の動きだったのである。 
政治の影を感じるのは僕だけなのだろうか。 
このセルロイド死刑宣告を受けて、セルロイド業界は不燃性のソフトビニールへと転換していくこととなる。
セルロイドははかなさゆえに、もろかった。薄い感じゆえに、彩色は鮮やかだった。ゼンマイ動力のものはあったが、ブリキ玩具に比べればずっと人形に近かった。なによりも軽く、運命すら軽かった。
現在では、玩具屋と節句などを売る人形屋を分けて考えがちだが、もともとは人形屋が玩具を作り始めたようだ。その結果、玩具世界の主流は雛人形屋出身者が占め、「東京玩具人形協同組合」の名になごりがある。 
おもちゃは仕掛けのある人形という言い方もできそうだ。 
古くは《ひとがた》といわれた人形の世界は、おもちゃの世界と違って、ただ大衆的ではない。貴族や大名に近く、芸術に見られやすい。人形芸術運動が盛んに起こって帝展に出入りもする。表現には、磨きをかけている。 
しかしおもちゃの場合でも、顔が命なのは変わらない。ブリキ玩具は顔までブリキ顔というのは案外少ない。金属では曲線がうまく表現できないため、セルロイドやソフトビニールで顔を作ることが多い。その意味で顔の作りは人形の流れなのだ。 
大手セルロイドメーカーの顧問を、芸大の朝倉文夫氏が引き受けていたと伝え聞くのも、人形イコール芸術という間柄だからだ。 
銀行貯金箱で有名な某ソフトビニール製造メーカーの名職人志賀さんも、芸大の卒業者であった。
怪獣ソフトビニール人形の名職人H先生もまた、芸大の彫刻出身であった。 
セルロイドがソフトビニールに変わって、セルの技術がソフトビニールに受け継がれても、いいものをつくりたいという職人の心根は案外変わらないものだ。
おもちゃの血はときどき、美術大学出身者の新しい血を受け、その時々の新しいおもちゃ素材の可能性をより高めてきたような気がする。 
セルロイドは消滅しても、ソフトビニールの怪獣に今でもその微かな記憶を辿ることができる。
もしかしたら、ゴジラのせがれミニラやいじめっ子ガバラのソフト人形が発売された1970年頃の制作会社不明の商品は、セルロイド第一号商品の発明家永峰氏の会社の商品であったかも知れない。
セルロイドは惨殺されて、永遠におもちゃの身体を流れる血となった。
[注文の多い鑑賞例]
●日本の人形師たちが礼賛し、また手本とするものに、仏像と能面があります。(山田徳兵衛/日本のおもちゃ)
●よい職人になろうとするならば、他の人がこれでよしとするところからもうひとつ出ることだよ。(中沖満/力道山のロールスロイス)
●私は前々から技術者におもちゃ屋さんを勉強しろと口をすっぱくしていってるんです。あの人たちほど柔らかい発想で仕事をしている人はいないぞ、と。(本田技研副社長藤沢武夫がトミー富山栄市郎に語った言葉。昭和43年)
●貴女の胸の中でプロペラーが唸っている (稲垣足穂/弥勒)
[註]
(1)金属玩具(ブリキ)を代表する顔。動物ものに秀作が多い。
(2)入手には苦労した。「これは日本玩具学を完成せしめる第一歩である」有坂興太郎・日本玩具史編(昭和九年)の序より。


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