昔のちゃ会社について

(昔のおもちゃ会社マルサンや御三家と昔のおもちゃ世界の一研究)

おもちゃ会社は江戸時代から浅草に始まり
90パーセント以上が東京の浅草に集中し
その周辺にはおもちゃの箱の印刷会社などがあり
浅草は日本のみならず世界の玩具産業の中心だった。


1970年代後半にスタートした
アンティークトイショップの歴史も倉持や米沢のあまりものから
うまれていた。
マルサン 戦後から1968年12月まで。
クリスマス商戦の最中に突然倒産。
プラモデルの最初のメーカー。
ブリキのキャデラックで名をあげた。
世界初の怪獣ソフトビニール人形を発売。
戦後NO1の玩具会社。
社長は石田実。
社風は積極果敢で
新素材で新ジャンル挑戦
新営業形態開発
(プラモデルの新販売ルートとして学校そばの文房具や)
で突き進んだ。
ブルマァク 台紙系の会社。
(メーカーは箱モノが基本。ブリキは当然箱モノ。
台紙とは箱なし安価、駄菓子屋系売りの意味)
形の上でも会社名称でもマルサンを引き継いでいるが
実体は残念ながら大いに異なる。
第二次メーカーないしはテキ屋以上メーカー以下。
マルサンのような大メーカーではなかった。
1969〜1977年。
活動は十年に満たない。
「復刻商売」の元祖。
(マルサン倒産後怪獣ソフトビニール人形ばかりか
ブリキさらにプラモデルまでマルサン発売のモノを売りまくった。
当初は刻印までそのままの場合が多かった)
おもちゃ御三家 鉄人のブリキの野村。
車の米沢。
てがたい増田屋。
いずれも戦前から(増田屋は江戸時代から)
浅草中心の旦那主義世界を構築してきた大店。
バンダイ マルサン亡きあとの玩具世界を圧倒した。
創業者「アンテナの人山科直治」の戦略は未だに誤解されている。
戦後マルサンとともに御三家主導の玩具世界に立ち向かった。
有力会社 トミーは品質に定評。肉厚が厚い。
タカトクはキャラクターものに斬新なアイデアを残した。
浅草玩具は前衛的な保守だった。
などなど。
倉持商店については
いずれ一冊の本が書かれなければならないだろう。
戦後の玩具史とはある意味「反倉持」であった。
旦那と下請け 御三家は旦那。旦那とは問屋。下請けとはメーカー。
営業網を持たない下請けは旦那の名前(会社名)で販売した。
今とはメーカーと問屋の関係が違う。
製造問屋略して「せいとん」ともいった。
おもちゃの階層世界 都内価格と地方価格があった。
昔は商品サイクルが長かったので
売れ残り品などは地方へ回った。
そして過剰在庫はテキ屋を通して
縁日で売られた。
テレビキャラクター商品誕生
トラック輸送の発達とともに、この大循環社会が崩れていった。
参考資料 ガンタマ(浅草の玩具の魂)■星雲社
怪獣玩具の冒険■フィルムアート社
おもちゃと茶の道(エッセー)■読売新聞

■テキスト作成 神谷僚一
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