1想い出のおもちゃってなんですか?
2想い出のおもちゃをたとえるとしたら?(※書かなくても可)
3お宝鑑定ブームの功罪は?(※書かなくても可)

★年齢と職業は書いて下さい。
★載せられない場合もあります。
●作文を書いて送ってみよう●



■ナメゴンで遊んだよ
阿部長佳

年齢 42
職業 人事担当
故郷 東京都大田区池上


空想雑貨さんにお邪魔すると、
カウンターの後ろのオットセイナメゴンが話しかけてきた。


「ひさしぶり!」


手に取らせていただくと
背中のボツボツの感触が私を35年前にタイムスリップさせた。


テーブルのうえに水をたらし、
その上に置いたナメゴンを引きずって足跡をつける
楽しい一人遊びが鮮明に蘇る。


ナメゴンはあまりにも高額で買い戻す事はできなかったけれど、
私は忘れていた懐かしい時を再び手に入れた。





■チョロQがやってきた
開田 成人
38才おとうさん

はじめまして、おもちゃコレクターを趣味としている、
5歳と7歳の二児のおとうさんです。
最初のきっかけは、
チョロQを何気なく子供に買ってあげたのが始まりでした。
子供と一緒になって手にとって見たのがチョロQのスカイラインでした。
分かりやすくできていて、今まではあまり気にも留めていなかったのですが
このときばかりは、まじまじと眺めていました。
「お父さん買って!」の子供の 一言で一台づつかってあげましたが
、子供は飽きるのも早く、すぐに他のものに夢中!


家の中でほっとかれたチョロQを小物入れにいれて飾っていたら
他にも色々あったことに気づき、
次の日にもう一台違うチョロQをかいました。
1台が2台、2台が3台となっていく内にチョロQ中毒にかかり、
今では おもちゃ屋さんのショウケースを購入し
狭い自宅のリビングでかなりの数のチョロQ とおもちゃを飾ることになりました。


おかげで、近所の子供が休みの日には、「おもちゃ見せて!!」とやってきます。
おもちゃは大人と子供のコミュニケーションツールですね。


■ダッコちゃんと一緒
大久保 輝子
性別             女
年齢             60

私が高校生ぐらいの時,
爆発的にだっこちゃんブームがありました。
かわいい黒人の子のだっこちゃんで
道行く人の半分ぐらいが腕につけて歩いていました。
かわいらしくて私もくすぐったい気持ちで腕につけたものです。


その後アメリカから人種差別だという声が沸き起こり、
ちびくろサンボの本と一緒に絶版になってしまいました。


今でもその当時のままのだっこちゃんが健在で
家の居間に一緒にすんでおりますが、
差別問題のため表に出ることは出来ません。

■バラゴンはバラゴン
日野 寛大
性別             男
年齢             21歳
職業             教員
故郷             故郷は地球

幼少の頃から三度の飯より怪獣好きで、
どこから知識を得たのか既にマルサンやブルマァク製のソフビ人形の存在を知っていた。


よく母親に頼んでアンティークショップへ連れて行ってもらった。
行くショップの先々で見た「ここはガキが来るような店じゃないんだよ、帰んな!」と言わんばかりの
店主のオジサンたちの顔が今でも忘れられない(苦笑)。


当然、店内の古いオモチャを眺めるだけ。買ってもらえるワケが無い。
口が裂けても母親に「これ、買って〜!」なんて言えなかった。


博物館めぐりの感覚で母親は懐かしみ、僕は古いソフビの群れにワクワクしたものだ。

今から11年前、小学三年生の時のコト。
母親と一緒に浅草の仲見世を歩いているとオモチャ屋のショーウィンドウに飾られているバラゴンを見つけた。
ショップで見たバラゴンと色は違うが、確かにブルマァクのバラゴンだと思った。


思わず「これ、買って〜!」と母親にねだってしまった。
「復刻版って書いてあるわよ。まぁ!2500円!?けっこう高いのねぇ・・・」と母親はブツブツ言っていたが、
すんなり買ってくれた。


このバラゴンはバンダイ製の復刻ソフビだったが、そんなコトは僕には関係なかった。
復刻だろうがバラゴンはバラゴンなのだ。
というよりも、まだ復刻の意味を知らなかった(笑)。


帰りの電車の中で、ビニール袋から出してバラゴンをいろんな角度から眺めたのを覚えている。
凶暴な肉食怪獣なのに可愛らしい造り、ド派手なカラーリング、そして足裏のブルマァクの刻印・・・


この復刻バラゴンが、僕の本格的ソフビ収集の発端となった。
お小遣いを貯めて一体2500円もするソフビ人形を買い集めた。


成人した今でもオリジナル品にはなかなか手が出せないので、復刻版を主に集めている。
そしてコレクション棚の中央には、あの時のバラゴンを飾っている。
復刻だろうが何だろうが、バラゴンはバラゴンなのだ。


■黄緑色の記憶
春田 雅典
性別             男
年齢             31
職業             自営業
故郷             大阪

幼い頃、僕には玩具で遊んだ記憶があまり無い。
どちらかと言う と友達と草野球や、魚釣りをした記憶の方が多い。
でも過去の記憶を辿っていくと、何かとても眩しい黄緑色が目に浮かんできました。


「あ、イカルス星人だ!」ブルマァクの小さな可愛い奴です。


一度思い出すともう雪崩の如く、記憶が蘇ってきました。
もう懐 かしくてあの頃の自分の部屋とか友達が持ってた超合金まで思い出したり・・・。
(これには苦い思い出もありますが)


僕にとっての怪獣ソフビの思い出はこの一体しかありません。
大きいのは買ってもらってなかったのかな。


小さいイカルスとは今まで出会う機会が何回もあったけど、
何かその時の雰囲気、タイミングが大事な気がしてまだ自分は手にしていません。


やはり思い出の玩具は出会いを大事にしたいと僕は思います。
いつかその日が来てくれたら感無量です。


■向こうからやってきてくれたよ
松本直

性別             男
年齢             38
職業             会社経営
故郷             北海道 

大切なおもちゃって、いろいろあるんですけど、
いちばん大切なの はボクが2〜3歳の時に家に来た、
ワラの入ったクマさんのぬいぐるみとキューピータイプのセルロイド人形です。


実はこのお二人、
一度は生き別れとなりながらも
30 数年の月日を経て、
ボクの元に帰ってきた奇跡的な方々なのです。


20数年前まで住んでいた北海道の家が取り壊しになったとき、
行方不明になっていた二人をボクの父親が屋根裏から発見、
東京で所帯をもつ息子のもとへ送ってくれたのでした。


奇跡のキューピーさんはほとんど無傷でしたが、
クマさんのほうはあちこちにケガをしていて、ワラがのぞいてました。
しかし、わが家で洗面器の風呂に浸かっているクマさんの姿を見たカミサンが、


「何だかホッとした表情をしてるみたい」と言ったのです。


そうか、キミたちはボクのことを忘れないでいてくれたのか。
ボクはいつの間にか忘れていたのにね。
一度失くしたおもちゃを再び探すことはあるでしょうが、
失くしたと思っていたおもちゃが向こうからやって来てくれるということは、
そうそう無いと思うのです。


いやぁ、ありがとう!よく帰ってきてくれた、またよろしくね!と、
彼らに感謝しつつ、
また一緒に暮らしています。
         

■手あらってきてちょうだい
山田ゆうこ

年齢             48
職業             主婦
故郷             北海道

「触りたかったら手あらって来て!」


おもちゃのウクレレを持った子は私たちに言った。
無邪気にも言 われた通り手を洗いに行って弦の一本も触らせてもらったのか、
それとも「見るだけ」を選択したのか全く記憶にない。


国鉄がまだまだ元気だったころ、
私の住む小さな村の駅の横には 国鉄の「官舎」があった。
官舎の子達がもっているさまざまなおもちゃは
田舎者の私にとっ ては「うらやましいもの」ではなく
手の届かない「諦めなければならないもの」に他 ならなかった。


手を引いて歩かせる人形、レーシングカー・・・


おもちゃだけではなく、子供用のかわいい絵のついたタンス、
二 段ベッド、ガラスの扉のついた本棚、オルガン。


「触りたかったら手あらってきて」
この一言がなかったら、
ウクレレはあこがれのおもちゃになってなかったのかなぁ〜・・・


  

■まぼろし探偵のメンコが仕事の原点だった
マルオスエヒロ

年齢             47
職業             漫画屋さん
故郷             長崎       

立体物は高価であったせいか、
おもちゃの思い出といえば、ひたすら紙物です。
メンコやシールなど。
おつかいのつり銭をごまかしては
シールやワッペンめあてにお菓子を買っておりました。
けばけばしいメンコのデザインが
現在の仕事の根っこになっています。
特に好きなのは「まぼろし探偵」です。


■成績よければGIジョー

大阪万博のあった、1970年、
愛知県のとあるスーパーほていや(のちユニー)の五階にあったおもちゃ売り場に、
小学1年生の私にとって、ひときわ輝いて見える一角がありました。
マテルのG.I.ジョーのコーナーでした。


当時新製品の コンバット姿の"ヒゲのG.I.ジョー"も発売されていたと思いますが、
私のいつものお目当ては、
テレビでおなじみの原子力潜水艦シービュー号や
海底少年マリンで観て
すっかり気に入っていた
「潜水服(ダイバースーツ)の」ジョーでした。
はっきりは覚えていませんが、当時の値段で、1500円位していたような気がします。


食料品の買い物を終えて迎えに来てくれる母や、他の売り場から合流する父に、
何回かそれとなく「潜水服のG.I.ジョーがほしいなー」とねだっていましたが、
初夏、いよいよ潜水服のジョーにふさわしい季節になるころに、
「一学期 のつうしんぼがぜんぶ◎だったら買ってやる」という話になり、
期待が一気に膨らんだのを覚えています。


生まれてはじめての通知表、そもそもどうやって「ぜんぶ◎」にするのかわからないまま、
一学期の終業式を迎え、いざ通知表を開いてみると、
果たして、そこにはたくさんの◎が。
(○も一つくらいはあったと思います。)
親バカの悲しさ、うれしさ半分、あきらめ半分の両親と、早速、
夏休み最初の日曜日にくだんのほていや五階へ。


数カ月の夢がとうとうかなえられる、と
G.I.ジョーのコーナーに 父の手を引っぱるのももどかしく、向いました。
「待ってたよ」と言わんばかりに、 潜水服の彼はそこにいました。


「これがほしいやつ。これ。」と興奮気味に指さす 私。
その商品と値札に目をやった次の瞬間、
顔がこわばり言葉をなくし、そして急に 苦笑いをして、
「こんな高いんか〜。こんなもん、子供に買えんわ〜」とのたまう父。


はじめは冗談かと思いましたが、その思惑に反して、真剣な表情の父。
予想外の高額玩具を見なかったかのように、おもちゃ売り場を離れる父。
「替わりのものにしろ」と勧めるでもなく足早に退散する父。


泣きこそしなかったのですが、帰路ずっと
「うそつき〜。ぜんぶ◎だったら買ってくれるっていったじゃん。」とあきらめきれず、
くり返し、自分の主張を両親に訴える小学一年生ではありました。


結局、当時300円ぐらいだった今井科学製ゼンマイ動力の
「流星号」の購入で納得せざるを得なかった私でした。


その後、念願の男児向け可動式人形をわが手中に収めるには、
ほぼぜんぶ◎を取り続けて2年たった頃、
ようやく根負けして父親が買ってきてくれた、
「変身サイボーグ一号」グレー版と、
「超人バロム1」の変身セットを待たねばなりませんでした。


以後、小学校卒業後、7歳年下のいとこにあげてしまうまで、
透明の機械人間の彼は私のアイドルであり、ともだちであり、宝物でした。
思えば、当時の父の精いっぱいのプレゼントであったのです。


一昨年、つい出来心で、宇都宮市内で1/3の値段で売られていた
新サイボーグ1号を、懐かしさの余り買ってしまいました。


まえだあきら(38歳、職業:世界をすくう、故郷:地球)



■部品欠品・箱なし・ボロボロでも良いのです。
                 20年以上ぶりに私のダイザーと合体させたいのです・・・

【A1 想い出のおもちゃ】

UFOロボ グレンダイザー』のDX超合金
&ポピーの歩行ドラえもん。


グレンは、父が私の誕生日に買ってくれた。
ドラは、母がデパートで買って来てくれました。
 現在、ダイザー本体が残ってるだけ・・・


【A2 想い出のおもちゃをたとえるとしたら】


タイムマシンかな?
買ってくれた日の事も思い出すし。
ボロボロになっても『愛情』を感じます。
引越しの際、沢山の不要物を処分したが、ダイザーだけは捨てませんでした。


佐藤順一(29才、会社員、 岡山)


         

■ウルトラの父

毎月 土曜日に
親父は怪獣やウルトラマンを買って仕事から帰って来た。
家にはたくさんの怪獣がいました。
ある日 怪獣と共に親父はいなくなった。
そしてぼくらは田舎に住みはじめました。
友だちもいなかったけどたくさんの怪獣や
ウルトラマンが、友だちを呼んでくれた。
親父はウルトラマンじゃないか!
と考えたこともある。
僕にとってのおもちゃは、とっても甘いそしてしょぱい味がします。


横山昭人(35歳、会社員、大阪)



■昭和の玩具売り場

就職した所がデパートの中でも、当時は花形の玩具売場でした。
ミルクのみ人形だけで一つの売場が形成されていたり、
クリスマスは売場が運動場のように広く、閉店後もお客さんが押すな押すな状態。


中でも極め付けは あの“だっこちゃん!”
開店前から人の 波、波でいつも、あっという間に売切れで、かなり長くブームは続きました。
今また“だっこちゃん”の名でカラフルなものが出てきましたが、あまり似てませんね。


玩具売場も無いデパートが多く、悲しい限りです。


伊藤 英子(62歳、東京)




■路地の上には青い空

横町の路地の駄菓子屋の瓦屋根の上には、いつも青い空が広がっていた。

あれは、そう、もう三十数年も昔になるんだな。
昭和で云えば三十年代。僕が小学生の頃。
小さな地方都市だったけど横町の路地を入ったら、あちらこちらに、
おばあさんが店番をする駄菓子屋があった。


文房具屋さんやお菓子屋さんの片隅を若い夫婦から借り受けたのか、
ささやかに商品を並べたものから、品揃えも豊富な本格的な店まであった。
店先に子どもの気配を感じると奥からのっそり現れるのは決まっておばあさんで、
ついぞおじいさんには出会わなかった。
店番は、つれあいを亡くしたおばあさんの専門職だったのだろうか。


最初のうちは通学路からちょっと逸れた場所にあった店がごひいきだったが、
だんだん高学年になるにしたがって自転車という移動手段を強い味方に、
隣の町内まで駄菓子屋を訪ねまわった。
今から思うとそう広い範囲ではないから、
かなりの数の駄菓子屋が子どもの行動半径内にあったのだろう。
そのうちの十軒くらいは、おぼろげながらその店構えから
薄暗い店内のようすまで思い出せる。


ガラガラガラガラ、ガラス戸を開ける。


土間の両脇には子どもの背丈に合わせた低い木の台。
その上には僕らのお目当てのピストルやらパチンコ、
メンコにロー石、組み立てヒ コーキ、ブリキの豆自動車。


女の子には、おはじきやナワ跳びのゴム。
アメ玉が入ったガラス容 器を並べた棚もあったかな。
黒砂糖で固めた麩やストローに入れた色とりどりのゼリーもあったな。
束にした糸の先を選んで引っぱると、
たまに大きなのが当たる粗目砂糖の付いたピラミッド型のアメもあった。


そして当たりクジ。
景品を横目でにらみながらクジを引いた。


夏には ガラス戸が取り外され店の前に床机が並んでかき氷を出す店もあったし、
年末になると漫画の 絵柄や金太郎の奴凧が天井からぶら下がった。


なけなしの小遣いはせいぜい十円か二十円。
半ズボンのポケットにチャリチャリチャリンと三十円もあった日にゃ、
店ごと買い占められる気分だったさ。
意気揚々と店を出る。


うん、空き地の原っぱで声がする。


みんな集まってるな! 
板塀と瓦屋根のその上には、今日も青空が広がっていた。


楠見哲也(1954年生まれ、僧侶、和歌山県)

    

■無事カエル

この年になって、おもちゃというものはなぜか恥ずかしくて、
おもちゃといえるような物は持っていないが、
大切にしている小さなかわいい置き物があります。


それは信楽焼でできた「カエル」です。


                  車の中にいて、カーブの時によく転がり落ちるけど、
絶対無くならず、かえってきては、また、
ちょこんと目につく所に居座ってしまう私の交通安全の守神です。
                 そのかえるがいつも私にささやきます。
                 「これ以上スピード出したら事故るよ」
                 「カーブの時はもっとゆっくり曲がって」と。


                 その愛すべき「カエル」のおかげで事故や大きな違反をしなくなりました。
                 私にとって、これは数少ない大切なおもちゃだと思います。


加藤あつき(22歳、フリーター、京都)


■直立不動の象氏

今も机の片隅でじっと私を見ています。


ごく傍に存在を感じると、
ちょっと怖い、強い引力のある目を持っています。


3年前にふと立ち寄った土産物屋で、
すっと背筋を伸ばして
“僕は買わなくてもいい”というようなその雰囲気に惹かれ、購入しました。


彼は前で手を組み、置かれた場所の空気の中で沈黙しています。
しかし、常に私に何も言わずしてピシッとしたものを語ってくれています。


私が何か迷ってる時、不安な時に、
彼に全て見透かされてるような気がして、
心が揺さぶられます。
“ホントの自分”に軌道修正してくれてる気がします。


直立不動の象氏。
恐るべき、象氏。
ってな感じの、愛すべきオモチャです。


柏木 タエ(22歳、学生、神戸)


               
■ビッグXのおもちゃに関る想い出2つ

経緯は忘れてしまったが、
叔父(母の弟)とビッグXの電動ブリキを買ってもらう約束をした。


親におもちゃを買ってもらうのは、一大事業であった時代、
叔父はやけにあっさりと約束してくれたので半信半疑であった。
翌日の夕方、玄関の上がり口に置いておく約束であった。


翌日、幼稚園から帰ってくると玄関に包装紙に包まれた大きな箱が置いてあった。


恐る恐る包装紙を開いてみると、それは、昨日約束したビッグXのブリキだった。


「本当に買ってきてくれたんだ」、僕はそのとき、心の中でそう叫びつつ、
約束を守ることの大切さを実感した。


もうひとつの想い出。
近所のYちゃんがV−3号の電動プラモを買ってもらった。


僕は、それを一晩でいいから貸してもらいたかったが、どうしても言い出せず、
黙って持って帰ってきてしまったのだ。


親には、一晩だけ借りたとウソをついた。
いや、ウソではない。
僕の中では借りてきたのだ。
でも黙って持ってきてしまった。


V−3号が手元にある喜びと罪悪感との狭間で、僕の心は揺れ動いていた。
翌日、Yちゃんの家へV−3号を返しに行った。
その道程、何と言って返せば良いのか分からず足取りは重かった。
Yちゃんの家の入り口で、Yちゃんのお母さんに出会ってしまった。
まだ、心の準備が出来ていなかった。


Yちゃんのお母さんは、僕の手にあったV−3号を見て、
「なぁ〜んだ、Tちゃんが持って行ったんだ。昨日、どこへやっちゃんたんだろうと探してしたんだよ」、
そう明るく言ってくれた。
救われた思いだった。
Yちゃんは遊びに出ていて留守だった。
僕はV−3号を返して帰ってきた。
何も言えずに・・・


ウソをつくことで、自分自身が傷つくことを、イヤというほど思い知った。
その後、同じV−3号のプラモを買ってもらい、僕の宝物となった。


「約束は守る、ウソはつかない」、などと聖人君主のようなことは言わないが、
今でも、この2つのことが頭の片隅にこびり付いている。


高橋 司(40歳、公務員、宇都宮)

■貯金箱のお母さん

私のうちには、銀行からもらった、貯金箱というか、
ビニールの貯金箱(箱じゃないけど)が、とにかく沢山ありました。
それも、桃太郎シリーズとか、金太郎シリーズとか。
貯金はしなかったけど、それを人形代わりにして、
「おにんぎょうさんごっこ」をしてたんです。
桃太郎がおとうさんで、
キジがお母さん。
鬼は、隣のオバサンと
言うのが、
私のキャスティングだった記憶があります。


(yuko、34歳、グラフィックデザイナー、横浜)


■おもちゃは40歳

いま、たくさんの古いおもちゃに囲まれている。
(たくさんといってもたかが知れているが)
一口に30〜40年とは言うけれど、
私と同じ年月である。
私と同じ年代を生きてきた仲間でもある。
悩みも聞いてくれるし、楽しい想い出話も聞かせてくれる。
年上もいるし、おしゃべりな奴もいる。
中には、年下なのに、私より風格のある奴もいる。
こんな奴らだから、毎日眺めていてもちっとも飽きない。
そればかりか、毎日を少し楽しくさせてくれる。
頼もしい奴らだ。
これからも、一緒にいい歳をとりたいものだ。


・・・・・いつしか、私を追い越してしまう時が来くるだろう。
けれど、夢と希望は永遠に与え続けていて欲しい。
そう願う・・・・。


中村 秀行(37歳、会社員、栃木県)

             

■扉を開けたら、マジンガー

今37歳にしてやっと家を買った。
引越しの準備の毎日の今、押し入れから久しぶりに
出てきたマジンガーZのブリキ人形をみてあの頃を懐かしく思い出す。
とは言っても
子供の頃から持っていた物という美しい思い出話ではなく、
15年前から約4年間、
必死でおもちゃ屋をめぐり探しまくってた頃の思い出です。


当時愛媛県に住んでいた私は
ふと本屋で見たホビー雑誌のマジンガ−Zに異常に懐かしさを覚え、
仕事が県内回りの営業マンということもあり、
県内のおもちゃ屋を仕事のついでに訪問し懸命に
おもちゃを探していました。


当時でも古い玩具屋には
すでに東京から何年も前に業者が来て買いあさって行ったあとで、
また評判も悪く、散らかすからダメだと倉庫や蔵は見せてもらえず
たいした物は有りませんでした。


・・・が、それでも
70年代の車のブリキ、アニメのヒーロー物はポロポロと見つけることができました。
最初はそれこそ車、ソフビ、飛行機や超合金となんでも古ければ購入していました
が、だぶって買うものも多く、(見つけると早く買い占めないと気が済まなかった!)
ある自動車雑誌にブリキの車を売りに出したところ法外な値段で売れたこともあり、
その頃からコレクションを絞らないと収拾がつかないと考え、
やっぱり子供の頃から大好きだったマジンガーZを中心に集めました。


しかしその頃すでに玩具屋にマジンガ−などあるのは稀で、
トレードや専門店売りの物を要らない物を売ってお金を作り購入と、
かなりマジンガーと名のつく物を集めるのに時間とお金はもちろん、
知り合った収集家の方の情報集めなど苦労しました。


一番の思い出は、
●●●●という所の中心部にある古い玩具屋、
店に着いてガラガラと戸を開けた瞬間、


左にはマジンガ−Zのソフビが4袋
ゲッター1やミサイルライディ−ン
その上にはマイティジャックのおもちゃ、
奥にはブリキの車やジャンボマシンダ−と、
手や足がホントに震えたのを覚えてます。


急いで銀行に走り、車一杯に積んで帰りました。
自分が3回通って、もう欲しい物はないと確信してから、
当然コレクター仲間に情報を流すのも忘れません(笑)


そうやって一生懸命集めたコレクションも、
いつしか熱も冷め飾り棚から、ひとつ、またひとつと売られていき、
そのうちダンボールへとしまわれ、
その存在すらこの何年も忘れてました。


今このマジンガ−を手にとってゼンマイを巻いていると
コレクションとは、なんなのかなと思います、


今ダンボールからは
超合金2体、ブリキ3体、ソフビ2体しかありませんが、
(なぜか理由があって売らなかった物だと思う)
新しい家のリビングにアンティ−クな飾り棚にでも入れて飾ろうと思ってます。
これもりっぱなコレクションですよね。


(大西哲生、37歳、会社員、愛媛)

 
■駄 菓 子 や へ の 憧 れ

小さい頃よく駄菓子やへ通ったものです。
今思うと私の体の一部分は
あの頃のまま成長が止まってしまっているのではないかと思うのです。
社会人になって転職キラーと言わんばかりの勢いで職を転々として
落ち着いたのが駄菓子屋の店長で御座います。


お店のディスプレイは、
きいちのイラスト、
昔の映画のポスターなどを壁に貼り、
自分のコレクションを飾ったりと熱心に取り組んでおりました。


アイスクリームの販売用冷凍庫も
業者さんに頼んで昔の物を使ったりして、
ラムネやみかん水、ニッキ水にひやしあめなんかも売ってました。


女子高生にとても人気のあるお店でございました。


40代〜50代おじいさん、おばあさんも
懐かしいと言ってよく利用して下さいました。


何より自分が一番楽しんでましたね。


けれど、会社の営業の一部門でしたので、
楽しんでばかりは居られず規模の縮小とかで魅力を感じなくなり辞めました。

何れは自分で駄菓子やをやりたいと思っております。


小さい頃は情熱的に買い込んでいた駄菓子も
大きくなって改めて食べてみるとかなり不味い物が多いです。


けれども、
駄菓子やで売られていた玩具たちは、
現代のハイテク玩具には無い奥深い魅力があります。
知恵が駆使されていたり新しい発見があったりするので御座います。


そんな懐かしさにとても癒されるきがいたします。
それでは、また・・・


(武田育子、27歳、主婦、長野県)

          

■思い出のゴモラ
ゴモラと僕
今、私の手元に1枚の写真がある。
もう30数年前の私である。

ボンボンベットでお昼寝中、
タオルケットをお腹にのせて。
私の枕元にはマルサンゴモラ。
子供のころ大好きだったゴモラ。


怪獣ソフビを蒐集しはじめて、まだ数ヶ月。


マルサンゴモラは何度も見たが、みんな私のゴモラじゃない。


私のゴモラには左足の裏に名前がある。


父がマジックで丁寧に書いた私の名。


マルサンゴモラを見つけるたびに、記名を確かめる。
記名のソフビを探すなんておかしいのかもしれないけれど、
これこそ、唯一私のゴモラ。
マルサンゴモラはたくさんいる。
私は、今もゴモラ探している。


そして、今日もまた、1体マルサンゴモラを見つけた。
ショップのウインドウの中を見つめる私の中で。


和家正明(年齢 37歳、職業 会社員、故郷 和歌山)






■お姉ちゃんの宝物

私の持っているおもちゃは、高くはないし、珍しくも無い量産品のおもちゃです。
いつもリサイクル・ショップや、フリマで気に入ったものを買ってます。
気軽に部屋に飾るために買っていたので、趣味とも思ってませんでした。
よく、7歳のいとこが私の家に遊びに来るたび、
置いてあるおもちゃをたのしそうに眺めてました。
先日その子は私に「お姉ちゃんの宝物はおもちゃだ」と言ってきました。
なぜだかとても嬉しかったです。
私は自分が思ってた以上におもちゃが好きだということが分かりました。


下地夏(19才、学生)



■かえりたい

僕は昭和50年生まれです。
あそんでいたおもちゃはおもに超合金でした。
そんな仲間達も引っ越しと共にゴミとなり、
再会したのは10年くらい前近所の小さな駄菓子屋でした。
一緒に外で遊び、風呂に入り、床につき、
最後にはツノも折れボロボロになる迄僕につき合ってくれた
あのテッカマン。
もう今年で25歳。
結構疲れてる・・・・。
仕事から帰ってベットに倒れ込み、
ふとあいつと目が合った時。
なにがいいって分けじゃないんです。
疲れを取ってくれる分けでもない。
でも頭の中は戻ってる。
あいつと暮らしたあの時代に。


▲志村 明彦 25才 バーテン


■体験学習

<おもちゃ資料室>の昔のポスターを拝見してビックリ!
とぉーっても、ひじょーに懐かしくうれしく楽しく拝見しました。
だって、当時プラモデル屋さんやおもちゃ屋さんで、
『これが欲しいな。』『これが買えたらな。』と、
しょっちゅう見ては空想していたあの当時のチラシ!


たぶん小学校3年生頃だったと思います。
そんな夢をかなえるべくお年玉で「バラゴン」を買いました。
弟が「ゴジラ」を買いました。
\500、\380は結構高価だったので思い切った買物をした事、
初めて手にしたリモコンのプラモデルだった事、うれしかったなぁ!


でも、なかなかウマク歩くように作るのは難しかった。
プラモとしての本体の工作より、体内のキット作りに苦労した。


最初、モーターの軸に付けるギヤが、
設計図の絵では良くわからなくて、
マブチモーターにも大小3種類くらい入っていた、
ふつうのギザギザのギヤをつけていてダメ。
初めてネジのようになったギヤの存在と、
電動の仕組みを教えてくれたのもこのキットでした。


なんとギザギザのギヤは、前進させる為、足の裏に使うんだったんです。


まだ小さかった弟も一所懸命作っていました。
でも、出来上がったら足が左右逆に付いていたんです。
「ゴジラ」ではなく「ゴラジ」でいいじゃない、
と母が慰めていたのを思い出します。


それからしばらく、親せきの叔父さんが来て、
デパートで誕生日プレゼントに、
なんと高嶺の花「ウルトラマン」\800を買ってくれたのです!
しかも赤のプラカラー一瓶と筆も買ってくれました。
\800なんてスゴイ高い感じだったので、
嬉しいと同時にイイのかなと思った記憶があります。


その後、金属製のリモコン完成品が出回ったのですが、
プラモほどの興味も魅力も感じませんでした。


すでにお年玉をくれた、祖父母も両親も、
また、親せきの叔父さんも他界していませんが、
「バラゴン」&「ウルトラマン」は寝ても覚めても宝物、
良い体験学習であったと今でも懐かしく思います。


▲林 健樹(KENJU Hayashi) 43才 自営業 

他に、ボランティア活動団体
(「世田谷アドヴェンチャークラブ」「みんなの森の会」)の事務職 


■動かなかった葉巻おじさん

買ってもらったおもちゃが動かなかった。
たしかロッキングチェアに腰掛けて葉巻を吸うおじさん。
小学校五六年生の頃でした。
原因は最初から切れた電池が入っていたため。
以来、浅草松屋デパートと電源には注意するようになった。


▲神谷僚一(東京都・44歳・空想雑貨店主)


■夢のように強かった僕のヒーロー

おもちゃの想い出をちょっとだけ・・・。
小さい頃の想い出には常におもちゃが登場するような気が。


祖父から教えてもらったりして手作りしたものもあるけれど、
なんていうかそれは僕の中で「おもちゃ」ではなくて
何だかもうちょっと別のもの。うまく言えないけど。


僕のヒーローはタイガーマスクと仮面ライダー。
この二つが時期を同じくしてたかは定かじゃないし、
正確にいくつの時だったのかは思い出せない。


今は色々な情報があるので、調べればその時期を特定することは
簡単なんだろうけど、僕にはその必要がない。
とにかくこの二つが僕のヒーローであることには変わりないのだから。


タイガーもライダーも本当に強かった。夢のように強かった。
悪いヤツを許さなかった。そしてやっつけてた!


この頃、マスクの取れるヒーロー人形が売られていて夢中になったなぁ。
マスクの下に素顔があるおもちゃなんて素晴らしいじゃない!
変身前の素顔があるなんて!
でも敵役の人形を買ってもらった記憶がない・・・。
なぜなんだろうなぁ。


僕は主人公であるヒーローに思いは寄せるものの、
怪人と闘わせるといった遊びはしなかったのかも知れない・・・。
よく思い出せないんだけど。


ライダーの記憶は旧1号だけ。本当はこの旧1号って言い方嫌いなんだけど。


沢山いるから仕方なく僕もそう呼ぶ。
だけど僕のなかで仮面ライダーは最初のだけ。
他は知らないし。認めてない。


とにかく夢中になったなぁ。スカッと悪者をやっつけて。
本郷猛もとにかくカッコよかった!


自転車の前にサイクロンの風防つけて、
顔が出るヘルメットかぶって、マフラーつけて、
そんでもってベルトを腰に巻いて。近所を走り回っていたっけ。
 その後にビニールでできたマスク、マフラー、手袋、ブーツ胸当てが
セットのコスチュームを誰かからもらって着ていたのを少し覚えている。


タイガーは人形とかだけで、かぶれるマスクなんて売ってなかったなぁ。
ライダーと違って実写ではなかったけど伊達直人だってカッコよかった。
ガムであたったマントつけて遊んでたもんなぁ。虎のペンダントもつけて。
なぜだかタイガーの人形のゴム製のマスクの部分をよくかじってたっけ。
いつの間にかマスクの色が落ちて、皮むいたみかんみたいに
真っ白になっちゃってたのを覚えてる。


当時のおもちゃのいくつかは、
まだ僕の手元に残っていて今でも夢を見せてくれる。
今では笑っちゃうようなマスクの下の何とも言えない人形の顔。
こんなにちゃちだったかなぁとも思えるベルトやペンダントの小物。


おもちゃの想い出はなかなか尽きない。
娘や家内に当時の話をしていると、
忘れていた想い出がさらに甦ってきてこれまた尽きない。
いつの間にか興奮してる。


僕の手から離れてしまったおもちゃはどこにいっちゃったんだろうか。
残念ながらゴミになっちゃったのか。
それとも他のどこかで夢のような想い出を語っているのか。


▲面来 数磨(Kazuma Menrai)  東京都。S41.11.16生まれ。システムエンジニア。

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