昔のおもちゃ


■昔のおもちゃ屋店主の綴るガンタマ日記2006年8月に続く■


2006年7月31日(月)
暑中見舞い申し上げます

2006年7月30日(日)
今日は良いことありますように
説明不要のアイキャッチ。
やはり戦後まもなくの大阪のメーカーさん。


関東地方梅雨明け

2006年7月29日(土)
隅田川花火大会
大空に駄菓子屋ひらく夏花火
近代の闇こがすなり夏花火
ヒカリとは地上にあらず夏花火
消えてなお闇にならずや夏花火
花火から観音様の風が吹く
いかすぜ、風船!の時代
ゴム風船製造メーカーの1953年の広告
戦後のまだ原色を知らない時期
カラフルな風船は立派な広告宣材だった。
駄菓子屋の当たりくじの一等賞の景品には
よくゴム風船があった。

2006年7月28日(金)
七月ももう終わり。
でもまだ梅雨明けしていないとは。
今日は一体どういう日になるのだろうか・・・・・・

山形から年輩のペコちゃんマニアの人が来た。

世界文化社の人が来た。
連日テレビ・出版関係者、来店。

♪オートバイが 空とべば
    事件のおきた 時なのさ
    ゆくぞ! それ!
    元気な少年 まぼろし探偵♪
今日もなぜか朝から歌ってしまった、「まぼろし探偵の主題歌」。

2006年7月27日(木)
TBSの人が来店。
1968年に関するドラマなそうな。
NHK駄菓子屋少年堂のプロデューサーK氏来店。
「いい番組作りたいですね」という話。

2006年7月26日(水)

「少年忍者風のフジ丸」と関係なくもないが
十代の頃LPレコードを木の額に入れて飾っていたことを思い出し、
EPレコード用の木製フレームを注文した。
アニメのソノシートを整理しようと思う。

クロスワードパズル専門誌(コスミック出版)に商品提供。
その校正があがってきた。
きいちといえば○○○
この○○○をうめるとパズルが完成というもの。

2006年7月25日(火)
久しぶりに自社広告を考えてみた。
ターゲットは四十代の人たち。
こんな感じです。


新感覚おもちゃ民俗学
金太郎エッセイ第二回がアップされました。
出版社のトップページから進んでください。
[金太郎の住む街]
http://www.kousakusha.co.jp/index.html

2006年7月24日(月)
劇団演出家の貝塚氏来店。
1958年のおもちゃ環境をレクチャー。
「舞台は遠くからリアリティを見せる。」
といわれ納得。

2006年7月23日(日)
知り合いから冗談といえども
「何代目ですか?」
といわれる店内になってしまった。
僕の店には
僕の故郷浅草と
僕の故郷浅草の絶頂期の思いがたくさん詰まっている。
それが僕の店の空気になっている。

いい店だよ、来てください。
やっと最近口に出せるようになってきた。

2006年7月22日(土)
モダンだけどノスタルジック
最近お気に入りのひとつ。
タワーの上からビー玉を転がすと
音がひびきます。
デザインも機能的だけど
どこかあたたかな未来。
木製のタワーとビー玉のガラスがお似合いのハーモニー!

2006年7月21日(金)
こんなかわいい娘が売ってたらね
ガラスケースの中のもの
みんな買っちゃうかもね。

2006年7月20日(木)
駄菓子屋売りのおもちゃを調べていると、
おもちゃをもっと大事にしていこうという気になる。
細かなもので精一杯工夫をしているせいからかも知れない。
無名のものでもけなげだしパワーがある。
そういったことで、買い手以上に売る方も楽しいのである。

いまは必死になって
おもちゃやとしての「スキル」をあげようとしています。
それにはどうするか?
それがやっと分かったというところ。
ここから先はカンタンには教えられません。

2006年7月19日(水)
ガラスケースも夢を見ているようだ。
猫瓶も曲面ガラスも。

2006年7月18日(火)
金太郎第二回の修正原稿をメールで送り
そのあと
ケメックの珈琲フィルターが切れたのでかっぱ橋へ
そのあとTSUTAYAへ家人のビデオを返しに行き
銀行へ寄って振込
「ねぎどん」できつねうどんといなりを食べ
クロンボ珈琲で豆を200グラム買って帰ってきた。
あっ、もうでかけなきゃ。

2006年7月17日(月)
雨が降ったりやんだりの一日。

ビー玉って
ラムネ瓶の中に入れてたガラス玉の
余剰在庫単独販売らしいですね。
そんなことをぼんやり思いながら
東京下町ラムネの生息域「三ノ輪」と
「金太郎」のことを考えている。

2006年7月16日(日)
山伏金太郎
元気な少年ヒーローの原型金太郎のルーツを感じさせる
金太郎のセルロイド製1950年代のお面。
修験道の行者を連想させるところから
「山伏金太郎やまぶしきんたろう」と名づけてみた。

2006年7月15日(土)
レイアウトばかりを考えている。
おもちゃ力を強化する道。
商品について考える、補充する。
レトロな博物館やレトロな店はあっても
「全盛期の玩具業界の思考」は陳列せず。

ものだけになってしまうと
さすがに虚しい。
《おもちゃという江戸から続く浅草製の風流特産品》を扱うのには、
どこか「江戸っ子気質」や「粋」が入っていなくては
興ざめなのは当然である。
まるで動きのあるものを静止画像で鑑賞するようなものだ。

2006年7月14日(金)
NHKスタジオ収録風景
まるで宇宙船の中での
記憶再現劇場みたいだった。

東京もまたクーラーなしでは過ごせない日だった。
ツムラ嬢が「僕の江戸論のブックデザイン」を持ってきてくれて
お礼に「ひやにく」をごちそう。

2006年7月13日(木)
スカパー撮影。
日本歌謡のあさみちゆき嬢来店。
なぜか僕も引っ張り出されて少ししゃべる。

2006年7月12日(水)
浅草松屋デパートの古本市へ出かける。
なぜか本があまり大事にされていない気がした。
トイコーディネーター
旧来のモノを貸し出すだけの「レンタル」、
商品背景の欠けている「美術」や「編集」とは違って
形ひとつ、色ひとつ、
材質ひとつ、
モノの歴史ひとつ、
モノの主張ひとつ、
これらの要素を《統合的》に
【演出】できるプロフェッショナルを
「トイコーディネーター」と呼ぶ。
NHKスタジオにて


シド・バレット死去

英国のロックバンド「ピンク・フロイド」の
結成時のメンバーだったシド・バレット氏が死去した。
60歳だった。
バンドのスポークスマンが11日、
数日前に同氏が静かに息を引き取ったことを明らかにした。
 バレット氏は1965年に、友人のロジャー・ウォーターズとピンク・フロイドを結成。
21歳でロック界の大スターとなった。
しかしその後、麻薬中毒となり、演奏活動にも支障をきたすようになったため、
68年、バンドを抜けてソロに転向した。
晩年はケンブリッジで好きな絵を描くなど、
隠遁生活を送っていた。

2006年7月11日(火)
店、倉庫そのほかに
「撮影用玩具」を別に収納しておく必要が出てきました。
いつでも対応できるようにしておかないと。

今日は「ニッポン放送」のインタビューがあります。
なにをしゃべるのか、考えておかないと。

2006年7月10日(月)
梅花一宇のマーケッティング少々
招集癖がある人たちのみ
愛好家の大多数を占めていると信じ込んでいたり
愛好家を収集でのみ語っていくというのは、
マーケッティングの誤解。
この国では
あまりにも多くの時間
収集家ばかりが独断専行しすぎた。

なにも持たずに
あるいは
ちょっとだけ持って
宇宙と遊ぶ
というのが
ここの場所の
ここのアジア的縄文焼畑文化圏の伝統的でさらに独自のスタイル。
遊びに経済力を入れない。
経済力を極力排除した。
それを「梅花一宇バイカイチウ」ともいう。

梅一輪の暖かさ(嵐雪)

2006年7月9日(日)
ひやにく食べにいったら、休みで
河金のソースカツ丼に変更。
店の前で
けん玉チャンピオンのパフォーマンスを見せてもらった。
まるでロナウジーニョのリフティングのよう。

ニッポン放送のディレクターから事前質問の電話。

2006年7月8日(土)
一日中NHK。
トイ・コーディネートする。
番組司会はリリー・フランキー氏。
駄菓子屋を2時間で作って1時間で撤収した。
映画三丁目の夕日よりも
すごいセットを作った。
洒落もいれた。
見えないところまで
おもちゃを飾った。

2006年7月7日(金)
朝からサンダーバード懐古氏が来てくれて
おもちゃの四方山話。
自分の指紋を押してパソコンをスタートし
自社内でもチャットで会話するオフィス環境よりも
会議なんてない創業社長の一存で物事が動くおもちゃづくりの方が
アイデアがつぶされず
はるかに気持ちが良くていきおいがあって面白い。
新鮮なアイデアは会議をすればするほど
腐っていくのかもしれない。
当時の驚愕品サンダーバードのテーブルクロス兼用ゲーム?を肴に
こんなコトを話し合っていた。

夕方スカパーのディレクターが来てうちあわせ。
木曜日に変更になる。

夜、美術セットの積み込み。

2006年7月6日(木)
なんかだいぶたてこんできました、空想雑貨。
1 今週はNHKスタジオで美術セット制作。
2 来週月曜日は、スカイパーフェクトTVの店内撮影。
3 そして次の日、
ニッポン放送「高嶋ひでたけの特ダネラジオ 夕焼けホットライン」
7/11(火)
16:48〜16:55
出演します。

勝てないぜ、この怪しさ
題材は「ハリマオ」。
絵師は「きいち」。
しかしこの「マルサンオリジナル怪獣モード」の絵はなんだ?
「天下無敵の版権無視モード」というかなんというか?
おもちゃなら原型師が唯一のおもちゃ表現者だった頃の伝説ですね。
これは
テレビや映画会社よりも
《浅草=おもちゃ旦那業界》がさらに上で光り輝いていた時代のおはなしですね。
浅草が六本木や赤坂や渋谷よりもどこよりも
ひとり輝いていた街だった頃のエピソードのひとつですね。

2006年7月5日(水)
雨なので遠出せず。
ただ黙々と二十箱ぶん整理整頓。
車にガソリン入れ忘れ。

2006年7月4日(火)
一夜明けて、睡眠不足で頭痛がするのでマッサージへ行ってきた。
僕が中田を見るとき
いつも「東洋」対「西洋」の激突としてみてきた。
中田は「全体性」の中にサッカーをデザインする。
それが中田という選手の長所であり短所。
論語の美徳を持っている古き良き日本人。
「ASローマの将軍」
「日本代表背番号7」

「太陽も早めに沈むことがある」
ガゼッタ・デロ・スポルト(4日付のイタリアのスポーツ紙)
■ローマの優勝を決定づける伝説のロングシュートを決めた日。
2001年5月8日(火)サンケイスポーツ

2006年7月3日(月)
中田英寿選手、現役引退
ローマのスタジアムでもう一度
「将軍ナカーーーターーー」コールを聞きたかったのだけれど。

左足首は水がたまり腫れていたし
オーストラリア戦の腿への打撲も相当ひどかったらしい。

世間が中田をやっと評価したと思ったら
現役引退ね
と家人が言っていた。

WoWowへ加入したのは前田日明とセリエAを見たかったから。
プレースタイルでいえばもっと好きな選手はいたけど、
いつのまにかナカータ中心のサッカー観戦になっていた。
不器用さが好きになっていた。

ヨーロッパの個を主張する競争原理のサッカー界の中で
あまりにも東洋的な繊細なサッカー選手だった。

僕は中学高校とサッカーをやって
いまだにボール遊びをしているけど、
ワールド杯中だというのに
ちょっとサッカー見たくないなという気持ちになった。
見るのだろうけど。

もういちど中田のロングシュートが見たいなあ。

増島みどりホームページ「止まないカーテンコールを、もう一度」

元日本代表MF前園のblogにブラジル戦のことが書いてあって
その最後に
代表落選以来はじめてユニホームに袖を通した。
それは背番号7、中田のユニフォーム。
これを読んだときドキッとしてなんか予感がしたのだけれど・・・・・・
案の定、前園はわかっていた。
前園の書いた中田引退の記事を読むと
涙が出てきた。
前園真聖blog

2006年7月2日(日)
使い込まれた古いエンジンが
高性能だけど調整の難しい新しいエンジンに
今日に限ってはまさった
ということなのだろうか。
フランス対ブラジル戦。

2006年7月1日(土)
美術セットうちあわせ。
やはり現場を見ないと分からない。
普段の練習が物をいう。

たくさんモノを見て
たくさん触れて
たくさん感じて
ミにつける。
アンティーク屋とはこうありたい。
自分が玩具黄金時代の「熱狂」であり
「野心」であり「未来計画」であり
「図面」でいたい。


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